轟音事変

轟音は"ごうおん"と発音してください。

年齢について

少し前に誕生日を迎えて、毎年恒例の肉体年表を世の中に提出した。ここにも掲載するか迷うところだが、まー今はやめておこうかなって気持ちなので今はひとまず置いておく。その際にありがたいことに?「年々若返っている!」との反応を多くいただいた。客観的に自分で見ても、確かにそうだなと思う。

見た目で限定して考えるならば、まず体重の増減は見た目年齢に大きく関わってくることは間違いない。太っていれば太っているほど部長感は増すし、最近みた漫画の受け売りだが「お腹が出てないだけで若く見える」のである。さらっとと適度に筋肉がついた肉体がおそらく相対的にもっとも若く見えるのではないかと思う。そして自分の場合はもともと老け顔だったため、若いころはずいぶん上に見えたものだった。だからなのか、逆に今は「変わらない」との評価を受ける。特にこだわりはないが、将来は荒木飛呂彦のようになったら面白いな…とは思っている。

それで、最近年齢について考えることがある。同じように生きていても、身体をどのように使うのか、頭をどのように使うのか、心をどう使うのかでそれぞれの成熟度や疲労度は変わってくるはずで、同じ年齢でも身体も頭も心も実際は異なるのである。そりゃそうだろって話なのだが、何も考えないと、人は勝手に衰えるし、なんとなく成熟して、落ち着いた大人になる、みたいなイメージを持ちがちなのではないかと思うが、そうではないことを理解することが改めて重要なのかなと。

というのも、とある場で高齢の方と時間をともにする場があるのだが、驚くほど尊敬ができない。本当に驚くことばかりである。みんな自分勝手でルールは守らず、好き放題にやっている。自分は高齢の方と接する時間をこれまで定期的に持っていなかったこともあり、イメージとのギャップがあった。しかし、そのイメージ、つまりある一定に達すると「成熟した人間になる」ということがそもそも幻想だったことに気づいたのだ。年上だろうが、年下だろうが、形成するのはその人の生き方が大きいわけで年齢は一つのパラメータでしかない。

身体も中身も年齢を重ねれば変化はするだろうが、なるべくならばより良い変化をしていきたいなあと、そんなことを改めて思うのだった。