轟音事変

轟音は"ごうおん"と発音してください。

東京2020オリンピックの前に思うこと

唸るような暑さが続く。

海風が吹く石巻でこのありさまなのだから、都会、東京はさぞかし厳しいだろうなあと思う。立っているだけでずいぶん消耗するのではないだろうか。熱中症も心配だ。

さて、この暑さの中「東京2020オリンピック」がいよいよはじまる。いよいよだね。いちいち触れはしないが、バラエティに富んだ豊かな負債をすべてさらけ出すようなトラブルが頻出し、日本国内ではすでに忘れられないオリンピックになっているのではないだろうか。

自分はスポーツをやるのもみるのも好き好き人間であり、マニアックな競技も放映してくれるオリンピック期間はいつもは楽しみにしている。夏季だけでなく、冬季も好きで、時差の関係で夜中に映し出される大回転あたりはエモさがあってめちゃくちゃいいんだよね。なんでこの人らこんなことやってんだろうなーなんて思いながら見ていると、どの競技でも醍醐味要素が見えてきて面白くなってくる。競技は予選からはじまり、決勝まで、ボルテージが徐々に上がる感じ、序二段から結びの一番まで続くあの感じがいいわけで、可能であればわりと長時間見ていたい。

だが、今回の五輪は興味が非常に薄い。さまざまな「絶望的要素」は前提としてあるのだが、、単にスポーツ好きとしても今回のオリンピックは選手が本来のパフォーマンスを引き出しにくい要素に溢れているため期待ができない点もあげられる。

スポーツに馴染みがない人からすればあまりイメージがしづらいかもしれないが、本番にピークを合わせるピーキングはどの競技、選手でも難しい。通常でも難しい作業なのに、これだけイレギュラーな状況が続けば合わせることは困難と言えるだろう。おそらくだが、ピークを合わせることができず本来の力を発揮できないまま敗退する選手も多くいるのではないかと思う。それも勝負かもしれないが、一ファンとしては本来の力を出し切った上での熱戦を期待したいのだ。

そのような状況だから海外のファンも大して注目しないのではないかなーと思う。仮にこれが他国開催だったとすれば、自分も「へーこんな状況(コロナ禍)でもやるんだー」くらいの軽い見方になると思う…と書いておきながら、いやいや待て待て、軽い見方だからこそ競技そのものに注目しそうな気もしてくる。むしろ、他国ならごちゃごちゃを見ずに競技そのものだけを"うまいこと"見ることになるはずだから、そうなるとむしろ普通に見るのではないか。

開催国だけがすべてを背負い、しかも楽しめない。他国は特に不都合なく、競技にフォーカスして楽しめる。つくづく貧乏くじを引いたイベントになってしまった。

今回の件はプロジェクトそのものが暴走しており、そこに加担をすればリスクを背負う構造になっているように見える。まともな改善にリソースを割くことがリスクになるからまともな人がまともに手も出せない。こうなると誰も責任を持てなくなるため、すべてがグダグダとなってしまったのではないかと思う。ゆえに、問題は会期中、そして会期後も続くのであろうと推測はしている。なんと絶望的なことか。そうしたところになるべく関わりたくない、エネルギーを費やしたくないという気持ちが根底にあるのも興味が薄れている要素なのだろうと思う。

終わったあとはどうだろうか。これまでに抱えた負債ですでに上がる要素はないのだが、どうせやるならこれ以上下がらないで欲しいとは思う。いや、無理か。これだけ予想を超えて悪くなってしまったことを考えればより下がらないという期待は難しい。さて、どうなるか。