轟音事変

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「311を忘れない」の違和感

今年も3月11日が過ぎた。

石巻に在住していることもあり、この時期は震災関連の情報量が一気に多くなる。ありとあらゆるメディア、FacebookTwitterなどを通した個人の言及など、多方面に渡る。さまざまな文言が並ぶ中で、「忘れない」という単語が気になった。

311を忘れない。
311があったことを忘れないで。

連続でこうした言葉を見るたびに、これは誰に何の目的でどんな文脈で伝えているのか?疑問に思うようになった。

◆仮説1.防災観点
まず考えられるのは防災という観点だ。震災を教訓として後世に伝えていくという文脈であれば「311を忘れない」は違和感は少ないかもしれない。一方で311を思い出すことで生まれてくるのは「大地震津波」の情報だけであり、その影響に対応する行動様式は揃わない。個人ベースの防災の目指すところは「いつどこで大地震(大災害)が起きようとも冷静に準備された行程に従い行動できるか」になるはずであり、その場合は「311を忘れない」では不足しており、「311を教訓に準備をしよう」や「次の311に備えよう」といった言葉になるのではないか。特に震源地から離れれば離れるほど、本質的に重要な情報が抜け落ちてしまうのではないか。

◆仮説2.故人を偲ぶ意味合い
亡くなった人のことを忘れないように…ということもあり得る。しかし、単純に雑なのではないか。311ではなく故人を忘れないことが重要であり、となると「311(で亡くなった故人)を忘れない」…ということになるのか。

◆仮説3.あの当時の「気持ち」を思い出す意味合い
打ちのめされた状態から「絶対に復活する」という、当時の気持ちを忘れないようにという意味合い説。これは意味合いとしては理解できる。印象としては商売をしている人がこの文脈で使っているようには見える。近い言葉で「あの日を忘れない」がある。

◆仮説4.その他
例えば福島では未だに避難区域になっている場所があるし、他の沿岸部でもまだまだ整備すら進んでいない場所も多いため、まだまだなんだよという意味合いで使っている場合もある…のだろうか。

などと、いろいろと仮説を立てて考えてみた。理解できる文脈もある。だが、私見としてはそこまで深く考えて言葉を放っているというよりも、定型文の扱いになっている節があるのではないかと思う。忘れないという単語は寄り添う意味合いでは非常に便利である。だからあらゆる場面で登場し、そして各種SNSで増幅してるのではないかと推察される。

毎日が誰かの辛い日であり、毎年大きな災害が日本で、そして海外で発生している。そのすべてに反応し、覚えておくことは難しい。情報が氾濫する時代にはなおさらである。311だけを覚えていて欲しいと伝えるだけでは時間が経過すればより一層情報は薄まることは間違いない。一方で311は様々な教訓があり、学び覚えることでパラダイムシフトを起こすこともありえる出来事だともいえる。

10年という時が経過したからこそ、いま一度振り返り、何を忘れないのか、さらにこれからの知らない層に対して何を覚えていて欲しいのか絞って伝える必要があるのではないか。

そんなことを今年の3月11日に考えた。