車社会はどの距離なら徒歩を選択するのか?
出張で東京へ向かうと、東京はとにかく歩く機会が多いことに気づく。帰途につく頃にはヘトヘトで、足がパンパンに張っていることも多い(というか今がそう…)。
例えば、渋谷駅の東横線から井の頭線なんて田舎なら確実に車を使って移動する距離だ。いや、下手すると山手線から井の頭線の移動距離でもおそらく車を使う可能性が高い。いやいや、山手線の1号車から最後尾に移動するのも車を使うかもしれない。
単純な移動距離だけではなく、都会では人口密度が濃いエリアも多く、そうした場所は自分のペースで歩くこともままならず、その分足への負担は大きくなる。また、坂道や階段を使うケースも度々あり、特に階段遭遇確立の高い地下鉄ゾーンは絶望的な気持ちになってくる。
一方で車社会が発達した田舎では、極端に歩く機会が少ない。家の駐車場から会社の駐車場へ、会社の駐車場からスーパーの駐車場へ、スーパーの駐車場から家の駐車場へといった具合だ。駐車場も建物のすぐそばにあり、実際に歩く機会があるのは整備された屋内のみで、負担は限りなく少ない。もちろん、人口が少ないため「周りのペースにあわせて歩く」なんてこともない。
田舎で車を使う人が日常的に一番歩く距離を稼げるのは、大型スーパー内での移動が多いと思われる。イオンがあれば、イオン店内の移動が一番歩いているはずだ。
そうした現状から、では逆に車社会で生きる人はどの位の距離なら徒歩を選択するのか?という疑問が湧き、周りの人間に尋ねてみた。おおむね、反応は似たようなもので、「50メートル位なら歩く」、「100メートル位なら…まあ」、「200メートルだと車かな」といった感じだった。言い方を変えると、「徒歩5分以内なら徒歩、10分以上なら車」という感じ。自分の感覚もこんなところではある。本当にひたすら歩かないのだ。
東京で暮らしていた頃はそれが当たり前だったから、あまり気にしたことはなかったが、東京は本当に歩く。その分、体力がつくだろうし、消費カロリーも増えているはずで、こうした側面からみれば田舎よりもはるかに健康的な日常を送っているはずだ。
調べてみるとこれは数字にも現れていて、下記のページが詳しい。
"図録 太めな県民、スリムな県民(都道府県別BMI)"
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7311.html
ちなみにここで使われている資料は、
"平成24年国民健康・栄養調査報告"
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/eiyou/h24-houkoku.html
↑ここからダウンロードできる。
男性平均でみると、東京、大阪、福岡といった都市圏がスリム上位に並ぶ。車社会にも関わらず上位である、岐阜や新潟などは雪かきが功を奏しているのだろうか(秋田、山形は低いけど)。一番謎なのは一位の三重県。なぜこんなに細いのだろうか。何か、特徴的な施策でもしているのだろうか。
スリム下位には青森、岩手、秋田、沖縄、長崎といった名前が並ぶ。宮城は37位。長崎は坂のイメージがあるので消費カロリーは多そうだけど、あくまでイメージなのかな。他の面々はイメージ通り。
というわけで例外は一部あるようだが、傾向としては車社会の地域はその分太りやすい傾向にあると言える。これは、見方を変えれば、公共交通機関が発達した都会から、車社会の田舎に引っ越しをすると、無意識に体重が増加する傾向にあるともいえるわけで、そうした移住を考えている人は何らかの対策をうったほうがよい。よく「田舎は食べ物が美味しいから太る」なんてことをいうわけだけど、そうした理由以外にも要因はあるわけだ。
自分もその例に漏れずぷくぷくと太りまくっているので、もっと意識をして痩せていこうと思う。痩せていこうと思う…。
【東日本大震災】石巻市被害状況まとめ
意外にも東日本大震災の地域別被害情報がWEB上ではなかったため(あるのだろうか…)、石巻版の被害情報をまとめて書いておく。情報源は復興まちづくり情報交流館がまとめた冊子を使用する。
◆石巻市震災基本情報
最大震度:6強
最大浸水高:25.8m
浸水面積:73キロ平方メートル
◆商工業
商業・工業被害額:335億5000万円
下水道施設被害額:631億円
道路:橋梁等被害額:166億円
◆農業
農林業被害額:634億円
畜産被害額:2億5100万円
田耕地被害面積:2010平方メートル
畑耕地被害面積:97平方メートル
◆漁業
水産業被害額:852億5400万円
被災漁港数:44(全漁港被災)
水産加工施設の被害状況:全壊200(全施設)
漁船の被害総隻数:2585隻
漁船の被害額:54億4500万円
◆商工業・農業・漁業合計
合計:約2621億5500万円
(※岩手県は県合計で約2553億5600万円となるためこの分野では岩手よりも石巻市単独の被害額が大きい)
◆家屋被害
全壊家屋数:22,357棟
半壊・一部破損家屋:31,385棟
火災案件数:20件
瓦礫処理必要数:428万t
(※被災前全住家数の76.6%が被災)
◆被害者数
死亡者数:3,537人
行方不明者数:431人
避難者数:50,758人
応急仮設住宅数:7,297件
最大避難所数:259件
◆おまけ
石巻市復興まちづくり情報交流館
https://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/10151000/9200/20150302212702.html
↑ここに来れば石巻市の過去現在未来の様子を一目で確認することができ、おすすめ。
石巻の中心市街地事情に見る合意形成の難しさ
色々と書きたい話題は沢山あるが、ここのところタスクが山積みになっており減っては増え減っては増えの一進一退の攻防を繰り広げているためなかなか書けない状態が続いていた。そんな状態だが、先日石巻市の中心市街地に関するニュースでどうも気になるものが入ってきたため、こちらに関して取り急ぎ自分の考えをまとめておきたい。
"再開発事業計画、白紙に 石巻市立町1丁目4・5番地区"
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2015/05/20150522t13011.htm
"石巻中心市街地の再開発白紙 準備組合解散へ"
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201505/20150522_11017.html
概要をまとめると、「石巻市の中心市街地の一部で進められていた再開発事業が地権者の合意形成が取れず頓挫した」といったところ。計画通りに進めば、"1階にスーパーマーケットと個人商店を配置し、2、3階は駐車場、4階以上は被災者向けの災害公営住宅と地権者用住宅を整備"と書いている通り、複合ビルを建設する予定だったようだ。スーパーはヨークベニマルが出店を検討していたようだが、反対した地権者の土地はこの複合ビルの中心部にあたり無理に開発しても出店規模が小さくなるため採算が取れず断念したとのこと。
脊髄反射的に反応をしてしまうと「一生懸命復興しようとしているのに反対する地権者は何事だ!」といった捉え方になりそうなものだが、そもそもなぜこうした流れになったのか。私はその背景を考察するに2つの理由が存在すると考えている。
1.活気があった時代から続く個人主義文化
該当するエリアは立町商店街の一角に位置している。立町商店街は旧石巻市街地で一番華やかな通りだった場所で、現在も賑わってはいないがシャッター街でもない通りになっている。少し前に老朽化により撤去されてしまったが、アーケードで結ばれた通りでもあった。その認識をもった上で、現在の市街地の復興計画を見て欲しい。
http://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/10151000/1000/0059/20150515_04-05.pdf
↑図では少しわかりづらいが、着目すべき点は立町商店街の復興計画を策定しているエリアが虫食いのように2箇所だけという点だ。普通に考えれば、せっかくこうして再開発を進めるのであれば商店街全体で進めていった方が統一感がでて良さそうなものだが、そうではない。
これには理由があり、この商店街は約10個の地権者組合に分かれており、その組合の影響力の方が強いという背景がある。知らない人からすれば1つの商店街だが、ある意味内部は10個の商店街になっているようなものだ。これに関して、私は石巻市の中心市街地活性化検討委員を務めていた際に「商店街全体で復興計画を描くことはできないか?」と提案をしたことがある。しかし、その問に対して自分以外の全員一致で「それは無理だ」と言われてしまった。
つまり、昔から各々でどうにかするという意識の方が強く、全体でどうにかするという意識は元々薄い商店街だったということが言える。一番活気があった昭和40年台当時で考えればその方が張りあいがありよかったのかもしれないが、震災を得てさらなる過疎化が進む中でそれでもこの現状が続いているということはそれだけ根が深い部分なのだろう。
2.個人状況の違い
こちらは考えれば当たり前のことだが、現状の個人差はそれぞれ違うことが予測される。震災で全てを失った人もいれば、十分に富があり震災前から閉店した店だけ商店街に置き、他の地域に住んでいる人もいる。これから商店街を盛り立てていきたいと考えている人もいれば、リスクを取ってまでそうする必要はないと考える人もいるだろう。今回この計画に反対した地権者はおそらく後者だ。記事ではあまり触れられていないが、イニシャルコストは補助金で負担する額は低くなったとしてもランニングコストは相応にかかることが予測される。箱を作ったからといって人が必ず集まるわけでもない。その上で自身がわざわざリスクを取ってまでその計画に賛成することはないと判断してもおかしくはない。自分が当事者だった場合そうした判断をする可能性は誰しもがあるはずだ。
また違った角度から言えば、シャッターを閉めている商店主によっては「自分の思い出が詰まった場所はそのままにしておきたい」という思いがある方もいて、そうした場合こうした計画により、自身の店舗がなくなることを危惧する思いがある人もいるだろう。ちなみにこれはその空き店舗を借りたい人がいても借りれない「空き店舗を貸したくない問題」が発生することにもつながり、実はこれがシャッター街を生む最大の原因だったりするのでは…なんて考えもあるのだが、この辺に関しては本筋ではないためまた別個で書きたい。
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というわけで、個人状況の違いと、元々のつながりの薄さ(全体で何かをしよう文化がない)が反対した要因になっているのではないかと私は見ている。反対者も「石巻はもともとシャッター街。補助金があるからと飛びつくのではなく、足元を見て個々の店が努力していくべきだ」と言っているが、こうした発想の元はそうした背景があることを知れば理解はできる文脈でもある。
違和感があるのはむしろこの計画の進め方だ。放って進めて最後に説得を試みたのか、最初は協力的だったものの何かしらのトラブルがあり反対に回ったのか、その辺は聞かないとわからないが、何にせよアプローチに問題があったことは予測できる(追記:途中から反対に回った模様)。
この例から見てもそれぞれの立場を尊重しながら合意形成を得ることはたやすいことではない。が、個人の動きでは限度があり、合意形成を得ながら進めていかなければ街全体としての動きは鈍くなる。その問題を打破していくためには、普段から住民同士で話し合い課題共有を行った上で「どうにかしたい人」「どうにかしなくてもよい人」とでわけていく必要があるのではないかと考えている。どうにかしなくてもよい人(=課題を認識しない人)にどうにかしようと迫るよりも、どうにかしたい人でつながり、そこで何をやるのかを考えていく位のスピード感がなければ今後の社会変化のスピードに負けてしまうのではないだろうか。無論、かといってどうにかしなくてもよい人を突き放すやり方は得策ではない。どうにかしないと側は常に門戸を広げて、協調を図りながら進めていくことが理想だろう。
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本筋ではないため最後に記載するが、本筋以上に根深そうな問題で「石巻の地元紙である石巻かほくによるこの話題の取り上げ方」がある。下にスキャンしたものを並べる(上が石巻かほく、下が日日新聞、どちらも地元紙)。
わざわざ中見出しを用い"地権者一人反対"と煽るように書いており、内容も1人が反対というニュアンスを強めにだした偏りのある文章でもあった。反対=悪という描き方で、これではこれを読んだ人は「誰が反対したんだ?」という犯人探しがはじまることにつながり、新聞社としては非常に危険な表現に見える。その辺は新聞社も理解しているはずで、わざわざこうした見せ方を狙うには必ず背景があるはずだ。ここからは完全に推測になるが、聞くところによれば他の準備組合も頓挫しかけているところがあるようで、反対するとこうなるということを示したのではないかと想像している。他の組合へのプレッシャーの意味合いがあるように感じるが果たしてどうか。
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追記(5月28日):他のエリアも頓挫したようだ。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201505/20150528_11018.html
高齢化に対する石巻での取り組み
昨日は月に一度の石巻復興未来会議の日だった。
未来会議は石巻の各分野で活動する人々が集い、現状や今後の展開を共有できる会だ。会だ、などと言っているが実は主催者は自分でその辺の経緯などはまた別のエントリーにでも書き記そうと思う。
さて昨日の場でも注目のトピックが目白押しだったが、その中でも1つ書いておこうと思うものがある。それが石巻の高齢化社会に対する取り組みについてだ。
今日のホットエントリーにて、
"いま失敗すれば、日本終了。"
http://rootport.hateblo.jp/entry/2015/05/13/004054
↑こんな記事が掲載されており、はてブも含めて興味深い発言が並んでいる。書いている通り、現状は厳しく、今後はさらに厳しい状況に置かれていくは間違いない。それを踏まえた上で、では実際に現場を見ている人はどのように考えているのか、違った視点からこの問題に触れていこうと思う。
話を聞くことができたのは石巻の病院に務める、
横山翼さん
http://tsubasayokoyama.com/
だ。
彼は震災後石巻に来た理学療法士でリハビリを専門に精力的に活動している。
彼の発言をまとめると、
"今の石巻は医療関係者は慢性的に不足している。5割増しは必要。特に医師は足りていない。雄勝や牡鹿といった半島は更に足りていない。すでに高齢者と支える世代のバランスは悪い。"
"こうした現状から今後は高齢者が高齢者を支えていく方法を取るしかない。近隣同士がつながり、その場に専門職の人間がいなくとも常に近所の人同士で状態を把握しておく必要がある。そのために地域でリーダーとなる人間を育成し、地域ごとで管理できる仕組みにしていく。そのリーダーの発掘、育成も今後の流れに組み込んでいる"
と、こんな感じで、いわゆる「互助」をいかに伸ばすかが重要な点だ。
具体的には、
"「おらほの家」被災高齢者集い笑顔・石巻"
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201412/20141222_13014.html
"互助組織 地域へ恩返し(4月 牡鹿半島・小渕浜)"
http://www.yomiuri.co.jp/local/miyagi/feature/CO004108/20140421-OYTAT50037.html
↑このような地域の活動に結びついている。
こうした活動を通し、住民同士を今まで以上につなげて互助を機能させる仕組みを構築しているわけだ。これでどの程度医療費や医師不足が緩和されるかはわからないが(今度聞いてみよう)互助を機能することにより、よい影響がでることは確かだろう。
ちなみに上2つの活動の裏には横山さんと同じように、震災後石巻に来た作業療法士である野津裕二郎さんの動きが大きい。野津さんとは面識がある程度で、深く議論を交わしたことはないが彼の情熱や想いは時折流れてくるfacebookの投稿からも十分に読み取ることができる。
震災後の石巻ではこうした外部から来た若手の医療関係者が精力的に活動しており、
"Okai"
http://tsunagarinokai312.wix.com/okaidetsunagarou#!our_story/c1se
https://www.facebook.com/groups/159349570906632/
↑このような、地元も含めた医療関係者の連携を(リアルも含めて)積極的に行っている。
この辺の仕組みもかなり機能しているようで、連携が深まりこの地域の医療に関しよい影響がでているようだ。
というわけで、ホットエントリーで考察された内容とは別の視点で高齢化に対する記事を書いた。高齢化問題は全体を通してみればネガティブな話題が多いが、こうした現場での取り組みはポジティブな要素になるはずだ。無論、全てを解決するわけではないが、現場は現場なりに現状を受け止めて動いているということは覚えておきたい。
目に見える貧困に出会う
今さっき起こった出来事について書いておく。
会議が終わり、残りの仕事を片付けるためにココスへ向かった。車からでて荷物を取り出し、入口に向かうと、遠目から女性が見ている。暗闇で顔の表情がよく見えない。しかし、どう見てもこちらを見て、しかも少しずつ近づいてくる。知り合いかと思い、こちらも近づく。ようやく顔の輪郭がはっきりしたが、見知らぬ女性の方だった。
30代から40代か。
上下ジャージを着用している。
マスクをしているが、やや挙動不審な表情をしていることが伺える。
どこかで会った?と不思議に思っていると、その女性が、
「500円ください」
と自分に向けてつぶやいた。
「えっ…」
と、余りにも予想外の出来事で頭が混乱していると、続けて、
「500円…500円ください」
と続けた。
未知の存在に対する守りの本能からか無視をしかけたが、少し落ち着いて整理をし、立ち止まる。遠目にはおそらく先に声をかけられたであろう主婦集団が困惑の目でこちらを見ている。なるほど、これは…ようするに物乞いということか。戸惑いながらもやり取りをしてみる。
要点をまとめると、お金はのどが渇いているから必要、お金がない、家はある(アパート、水が停められているのか?)、仕事もある(職場名を答えられて職場も偶然知った)。
といった感じだ。
元からそうなのか焦りがあるのかわからないが、だいぶ舌っ足らずな状態に陥っており会話も苦しそうな様子だ。
どうするか迷ったがのどが渇いているというのは色々と不味いのでは…と判断し、500円を渡し、そしてその際に行政に相談窓口があるから市役所に相談しに行ってくださいと伝えた。正直なところ、行政のどこにそうした相談窓口があるのかわからなければ、どうしたサービスが用意されているのかもわからないんだが。
去り際に、パンって100円で買えますかね?と聞かれた。買えますよと伝えると、じゃあパンも買えますね。そこのセブンに行きますね、といいながら、彼女はファミリーマートに入っていった。
そして、悶々としながらファミレスにて自身の考えを再構築する意味も込めてこの文章を書いている。
その昔、新宿の高層ビル街で働いていた頃、地下道のホームレスの横を通りすぎながら出勤することが日常だった。その時に人間どうなるかわからない、一寸先は闇、紙一重、だと感じたものだがその感覚を思い出した。
彼女がなぜそのような状態に陥っているのかはわからないが、原因が解決されるか、どこかセーフティネットにひっかかっていることを願う。
また、余りにも自分がそうしたことに無知だったことを理解できたのでひとまず、
困った時の相談先一覧
http://www.tasukeai-net.org/soudan/
"よりそいホットラインhttp://279338.jp/yorisoi/
【フリーダイヤル】 0120-279-338 (つなぐ ささえる) どんなひとの、どんな悩みにもよりそって、一緒に解決する方法を探します。24時間通話料無料。全国どこからでも、携帯電話からもかけられます。 "
↑こうした存在は頭に入れておこうと思う。
日本でここだけ?石巻市のパチンコ事情
全国津々浦々、パチンコ屋はどこにでもある。
都会にはミチミチとひしめき合うように乱立し、田舎には目立つ通りには決まってどーんと郊外店が構えている。最近ではその遊技人口の減少から逆に廃墟となったパチンコ屋もみかけるようにはなったが、それでも全体で見ればまだまだ数はあるだろう。
ここ、石巻にもパチンコ屋はある。
郊外型の大型店舗が主要道路に集中して乱立しており、通りを走れば多くのパチンコ屋を目にすることができる。石巻市のパチンコ屋は数にして15店舗と人口に対する比率はそれほどでもないが、その大きさと集中具合で体感的にはものすごい数のお店が並んでいるようにみえる。隣接する東松島市のパチンコ屋も石巻側に集中しているため、その影響もあるだろう。
まあそうはいっても、この辺は体感的なものでもあり、更にものすごいことになっている地域は全国にはもっとあるはず。石巻のパチンコ屋のすごさはこうした店舗の数だけではなく、別の違う部分にある。
それは「日本一早い開店時間」だ。石巻のパチンコ屋は、なんと朝7時開店を実施しているのだ。例えば石巻のこの店では、
マルハン石巻店
http://www.p-world.co.jp/miyagi/maruhan-ishinomaki.htm
"金・土・日・祝は【朝7:00から】営業致します!!"
ときちんと公式に書かれている。
他にも全てのお店ではないが、土日祝は7時開店を導入しているお店がいくつかある。きっちり全国調べたわけではないが、おそらくこの7時開店を実施しているのは石巻のパチンコ屋のみのようだ(他にあれば教えて欲しい)。
宮城県のパチンコ屋の開店時間がヤバイwwwww
http://fiveslot777.com/archives/40241489.html
↑参考までに2ちゃんまとめでもこうした反応だ。
パチンコ屋の前には「朝7時開店」と書かれたのぼりがバタバタとはためいており、初めて見た時はその衝撃に頭がくらくらした思いがある。
そもそも、この営業時間はありなのだろうか?と風営法を確認すると、どうやら"日の出~深夜1時"まではOKとのこと。東京などでは風営法とは別に条例で10時~23時と定められているため、そもそも10時以前にパチンコ屋があいていることを想像すらしない人も多いと思う。宮城ではそうした条例がないため、石巻に限らず8時開店は珍しくなく、閉店時間も、
Pスパーク
http://www.p-world.co.jp/miyagi/p-spark.htm
↑こちらのように24:45まで営業している店舗もある。
このようにそもそも宮城がパチンコに大してかなりゆるい地域性はあるのかもしれないが、それにしても朝7時開店はものすごい。通勤通学と同じか、開店前の並びも考慮するともっと早い時間から"出陣"している計算になる。
率直に言えば、これはやりすぎなのではないか。
自分はパチンコに対しては趣味として興じる程度であれば問題ないのでは、と考えている。パチンコそのものに様々な問題はあったとしても、それ以上に人が何に対してお金を払い、娯楽として捉えるかは個人の自由だと思うからだ。ただし、それはあくまで趣味の範囲でのことであり"身を滅ぼす"ようなことはあってはならない。それは趣味を超えている。
パチンコメーカーは利益を上げるために、多額のお金を投じて"のめり込ませる台"を必死になって作り上げており、単純な仕掛けながらも中毒性がある遊技に仕立てている。ユーザーはその事を認識しながら興じる必要があり、また胴元であるお店側もそのバランスは常に意識する必要がある。あまり搾取し過ぎると、客が飛び、地域の弱体化も進む可能性がある。営業時間が伸びれば、それだけ客は増えてもその地域の生産性は落ち、結果パチンコに興じるお金もどんどん減り、共倒れになってしまうからだ。
もちろん、朝7時にお客さんが来てしまうのもどうかと思うが(それなりに入っている様子)、この関係性はよいとは思えない。遊技人口がどんどん減っている時勢もあり、お店側も苦しいことは推測できるが、共倒れにならならいためにも改善を望みたい。
余談ではあるが、石巻のパチンコ屋では駐車場にタクシー待機所を設置している店舗がいくつも見られて、これもまた興味深い。それだけ高齢者の利用者が多いということだろう。また、一方で聞けば石巻の若者は必ずパチンコを通るといい、老若男女好きな人が多い地域のようだ。そんなこの地で影響力の強いパチンコだが、そのパチンコがない世界があったらどうなるのだろうか。そんなことをこの記事を書きながら疑問に感じたので、そのうちその辺の考察もしてみたいと思う。
住民主体で進む女川、その背景を探る
被災地の中で、今一番復興が進んでいる地域と呼ばれているのが女川だ。
一番という表現が正しいかどうかはわからないが、私のイメージでも着実に進んでいる印象がある。そのイメージはなぜ生まれたのか、またなぜそうした進み方ができているのか、先日お会いした女川の支援団体アスヘノキボウの小松代表の話も踏まえて分析していきたい。
まず、なぜ私が着実に進んている、という印象を受けているかだ。
現状の女川は更地になった場所にようやく、駅とフューチャーセンターができた…だけではある(まもなくバシバシ他の建物もできますが)。おそらく何も知らずに女川へ来た人からすればまだ何もない、"綺麗な駅ができただけの街"に見えると思う。それにも関わらず、進んでいる印象を受けるのは"街の設計図"がしっかりとできているからだ。
ここでいうしっかりとは市民の合意形成が取れていることを指す。設計図自体はどこの自治体にでもあるだろうが、その設計図に市民の意向が反映され、そして理解されたものであることはどれほどあるのだろうか。町の人が町がどういう方向に進み、進捗を理解し、今はどういう時期なのかを把握している、それが今の女川なのだ。
それは簡単なようでいて難しく、石巻の事例に関しては別個のエントリーで分析を試みたい。
さて、それではなぜ女川ではそうした合意形成が取れたまちづくりが進められているのか。ここからは、アスヘノキボウの小松さんの話を振り返りながら分析していく。
はじめにざっくり小松さんの紹介。
アスヘノキボウ
http://www.asuenokibou.jp/
女川フューチャーセンター
http://www.onagawa-future.jp/
震災後女川に入り支援を継続的に行っている。
町長を始め内外の方から手腕を評価され次々と女川で事業を進めている。
小松さんとの対談で得られたポイントは大きくわけて3点だ。
1.街に残るものだけで協議会結成
震災後一週間も経過しないうちに、女川の大手かまぼこ店「高政」の社長が生きている人をできるだけ集めた。そして、今後街に残る人、残らない人を判断する面談を行い、その後「残る人」だけで今後を考える復興協議会を設立した。
2.協議会は若手主体で運営
その高政の社長(高橋さん)が会を運営するに辺り『60代は口を出すな。50代は口を出してもいいけど手は出すな』というルールを定めた。これから10年20年続く長い復興期間で中心になるべきは年寄りの自分たちではなく、30代から40代といったこれからの世代が担うべきだと考えたからだ。聞くところによれば、やはり中には口を出そうとした人もいたようだが、そうした意見も全て高橋さんが汲み取り、若手が運営しやすい環境を整えたそうだ。
3.協議会と行政のつながり
その協議会が震災後1ヶ月程度で発足し、その協議会がいわば"シンクタンク"として機能する。意見を集約し、それを行政や国に直接訴えていく。ここだけでも十分成果があがった協議会になったが、さらに飛躍する機会が訪れる。それは、協議会のアドバイザーとして参加していた当時宮城県議会議員である須田善明氏が女川町長に当選したことだ。これにより、協議会と行政の結びつきがさらに強化され、町と市民が一体となり、復興への道のりを歩むこととなった。
意識ある地元若手主体のシンクタンクが行政と結びつき、まちづくりが行われる。なるほど、とても理想的な流れで、この流れはまちづくりに悩むどの自治体にも参考になる事例であろう。
もちろん現在の姿はこれだけが理由ではないと思う。
比較的規模の小さい自治体、小松さんは町外出身者だがそうした外部の人間を受け入れる素地、女川人の女川への愛情(郷土愛の高さ)といった点も影響しているであろう。
そしてもちろん原発による恩恵もあるだろう。
宮城県の財政力指数
http://area-info.jpn.org/KS02002040002.html
女川は宮城県の中で仙台市を差し置いて、もっとも財政力のある町と評価されている。原発の評価はまた別個の問題として捉えるとして、原発があることにより余裕を持った自治体の運営ができることは1つの事実ではある。
私自身も震災当初の被災地支援の際に、それは感じていた。各自治体の災害本部に伺って各担当者と話す機会があったが、相対的に見て女川の担当者はどこか余裕があった。ニーズを聞き出しても他の自治体とくらべて要望は少なく「お金がどんどん無くなります」と言っていたことを印象的に覚えている。他の自治体でそうした言葉は聞いたことがなく、お金で解決できることが他と比べて多いことを実感した瞬間だ。
また、原発があることにより一定数の町外出身者が町内にいる状態となり、そうしたことも外部の人間を受け入れる素地になっていたのではないかと推測もできる。女川の話をする上では、この原発があることにより人と金に関して他の自治体と背景が違ったものになることは念頭に入れておくべきではあると思う。
とはいえ、原発を引いてみてもその取組はやはり注目すべきものだ。小松さん曰く「女川は当初復興が一番遅いと評価された町、今でこそそういう風に言われているかもしれないが、ここに住む人達は現状に満足している人はいない」とのこと。これから先どのように進めていくかを常に真剣に協議しているそうだ。
今の女川駅から見える風景はまだまだ茶色い。
しかし、何もないのにこれからどうなるかは見えている。
そしてその見えている未来に向けて住民が主体となり動き、また未来が作られている。
これだけ変化がある街もそうはないだろう。
そもそも駅前にフューチャーセンターがある街なんてそうそうないはずだ。
この興味深い街を今後も興味深く追っていこうと思う。