轟音事変

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石巻の中心市街地事情に見る合意形成の難しさ

色々と書きたい話題は沢山あるが、ここのところタスクが山積みになっており減っては増え減っては増えの一進一退の攻防を繰り広げているためなかなか書けない状態が続いていた。そんな状態だが、先日石巻市の中心市街地に関するニュースでどうも気になるものが入ってきたため、こちらに関して取り急ぎ自分の考えをまとめておきたい。

"再開発事業計画、白紙に 石巻市立町1丁目4・5番地区"
http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2015/05/20150522t13011.htm

"石巻中心市街地の再開発白紙 準備組合解散へ"
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201505/20150522_11017.html

概要をまとめると、「石巻市の中心市街地の一部で進められていた再開発事業が地権者の合意形成が取れず頓挫した」といったところ。計画通りに進めば、"1階にスーパーマーケットと個人商店を配置し、2、3階は駐車場、4階以上は被災者向けの災害公営住宅と地権者用住宅を整備"と書いている通り、複合ビルを建設する予定だったようだ。スーパーはヨークベニマルが出店を検討していたようだが、反対した地権者の土地はこの複合ビルの中心部にあたり無理に開発しても出店規模が小さくなるため採算が取れず断念したとのこと。

脊髄反射的に反応をしてしまうと「一生懸命復興しようとしているのに反対する地権者は何事だ!」といった捉え方になりそうなものだが、そもそもなぜこうした流れになったのか。私はその背景を考察するに2つの理由が存在すると考えている。

1.活気があった時代から続く個人主義文化
該当するエリアは立町商店街の一角に位置している。立町商店街は旧石巻市街地で一番華やかな通りだった場所で、現在も賑わってはいないがシャッター街でもない通りになっている。少し前に老朽化により撤去されてしまったが、アーケードで結ばれた通りでもあった。その認識をもった上で、現在の市街地の復興計画を見て欲しい。

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http://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/10151000/1000/0059/20150515_04-05.pdf

↑図では少しわかりづらいが、着目すべき点は立町商店街の復興計画を策定しているエリアが虫食いのように2箇所だけという点だ。普通に考えれば、せっかくこうして再開発を進めるのであれば商店街全体で進めていった方が統一感がでて良さそうなものだが、そうではない。

これには理由があり、この商店街は約10個の地権者組合に分かれており、その組合の影響力の方が強いという背景がある。知らない人からすれば1つの商店街だが、ある意味内部は10個の商店街になっているようなものだ。これに関して、私は石巻市の中心市街地活性化検討委員を務めていた際に「商店街全体で復興計画を描くことはできないか?」と提案をしたことがある。しかし、その問に対して自分以外の全員一致で「それは無理だ」と言われてしまった。

つまり、昔から各々でどうにかするという意識の方が強く、全体でどうにかするという意識は元々薄い商店街だったということが言える。一番活気があった昭和40年台当時で考えればその方が張りあいがありよかったのかもしれないが、震災を得てさらなる過疎化が進む中でそれでもこの現状が続いているということはそれだけ根が深い部分なのだろう。

2.個人状況の違い
こちらは考えれば当たり前のことだが、現状の個人差はそれぞれ違うことが予測される。震災で全てを失った人もいれば、十分に富があり震災前から閉店した店だけ商店街に置き、他の地域に住んでいる人もいる。これから商店街を盛り立てていきたいと考えている人もいれば、リスクを取ってまでそうする必要はないと考える人もいるだろう。今回この計画に反対した地権者はおそらく後者だ。記事ではあまり触れられていないが、イニシャルコストは補助金で負担する額は低くなったとしてもランニングコストは相応にかかることが予測される。箱を作ったからといって人が必ず集まるわけでもない。その上で自身がわざわざリスクを取ってまでその計画に賛成することはないと判断してもおかしくはない。自分が当事者だった場合そうした判断をする可能性は誰しもがあるはずだ。

また違った角度から言えば、シャッターを閉めている商店主によっては「自分の思い出が詰まった場所はそのままにしておきたい」という思いがある方もいて、そうした場合こうした計画により、自身の店舗がなくなることを危惧する思いがある人もいるだろう。ちなみにこれはその空き店舗を借りたい人がいても借りれない「空き店舗を貸したくない問題」が発生することにもつながり、実はこれがシャッター街を生む最大の原因だったりするのでは…なんて考えもあるのだが、この辺に関しては本筋ではないためまた別個で書きたい。

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というわけで、個人状況の違いと、元々のつながりの薄さ(全体で何かをしよう文化がない)が反対した要因になっているのではないかと私は見ている。反対者も「石巻はもともとシャッター街補助金があるからと飛びつくのではなく、足元を見て個々の店が努力していくべきだ」と言っているが、こうした発想の元はそうした背景があることを知れば理解はできる文脈でもある。

違和感があるのはむしろこの計画の進め方だ。放って進めて最後に説得を試みたのか、最初は協力的だったものの何かしらのトラブルがあり反対に回ったのか、その辺は聞かないとわからないが、何にせよアプローチに問題があったことは予測できる(追記:途中から反対に回った模様)。

この例から見てもそれぞれの立場を尊重しながら合意形成を得ることはたやすいことではない。が、個人の動きでは限度があり、合意形成を得ながら進めていかなければ街全体としての動きは鈍くなる。その問題を打破していくためには、普段から住民同士で話し合い課題共有を行った上で「どうにかしたい人」「どうにかしなくてもよい人」とでわけていく必要があるのではないかと考えている。どうにかしなくてもよい人(=課題を認識しない人)にどうにかしようと迫るよりも、どうにかしたい人でつながり、そこで何をやるのかを考えていく位のスピード感がなければ今後の社会変化のスピードに負けてしまうのではないだろうか。無論、かといってどうにかしなくてもよい人を突き放すやり方は得策ではない。どうにかしないと側は常に門戸を広げて、協調を図りながら進めていくことが理想だろう。

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本筋ではないため最後に記載するが、本筋以上に根深そうな問題で「石巻の地元紙である石巻かほくによるこの話題の取り上げ方」がある。下にスキャンしたものを並べる(上が石巻かほく、下が日日新聞、どちらも地元紙)。

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わざわざ中見出しを用い"地権者一人反対"と煽るように書いており、内容も1人が反対というニュアンスを強めにだした偏りのある文章でもあった。反対=悪という描き方で、これではこれを読んだ人は「誰が反対したんだ?」という犯人探しがはじまることにつながり、新聞社としては非常に危険な表現に見える。その辺は新聞社も理解しているはずで、わざわざこうした見せ方を狙うには必ず背景があるはずだ。ここからは完全に推測になるが、聞くところによれば他の準備組合も頓挫しかけているところがあるようで、反対するとこうなるということを示したのではないかと想像している。他の組合へのプレッシャーの意味合いがあるように感じるが果たしてどうか。

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追記(5月28日):他のエリアも頓挫したようだ。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201505/20150528_11018.html