轟音からその先へ

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千羽鶴を被災地に送ることは完全に無意味なことではない

ようやく仕事が一段落したため、少しだけ熊本地震について書きたい。

災害が発生してから、様々な情報が入り、言及したくなるような事も多く、今であれば「なんで物資が届かないの?」ってところだと思うけど、これに関しては言及されている方が出てきて事情は察しつつあると思うので、今度また時間ができれば書きたい。

一方であんまり書かれてないけど、これは書いときたいなと思ったのが「千羽鶴被災地に送る」ということ。twitterで、千羽鶴で検索をかけると物凄い勢いで否定をされていることがわかる。すごい勢いだ。例えば、

https://twitter.com/MAEZIMAS/status/721767612561039360

こうしたツイートが伸びている。
初めに書いておくと、自分も当初はこうした考え方だった。必要ないだろう、そのスペースに他のものを詰めたらよいのでは…、などなど。

しかし、実際に物資配布をするとその考え方はがらっと変わった。
私は311の際に東松島市から陸前高田市までおよそ100ヶ所以上の避難所をまわり、細かく物資支援をしていた経験がある。避難所と一括りにしても、実はそれぞれで全く性質は異なり、そうした違いを書けるほどには当時沢山の避難所を見ていた1人だったと思う(その辺はまた今度書きたい)。
それで実際に避難所に行くと、まず大体の場所で寄せ書きや千羽鶴は飾っており、さらに場所によってはよっぽど大事にしているなってことがわかるような扱われ方をしているところもあった。特に印象的だったのは南三陸町の馬場中山にあった避難所だ。その理由はとてもわかりやすく、当時撮影した写真を見てもらえれば何となく理解できると思う。

f:id:mikamikami:20160418212408j:plain

これは当時twitterにアップした写真。
ちょっと見づらいが、瓦礫と、家が崩れている様子が伝わると思う。この写真は馬場中山の避難所の目の前から撮影した。避難所の目の前の光景がこれだったのだ。想像してみるとよくわかると思うが、どこからどうやっても悲惨な光景が目に入る、そうした場所だった。そうした所で、一つの希望として、千羽鶴やとても大きな寄せ書きを飾っていたことは理解できるのではないかと思う。

確かに食べなければ死ぬわけで、千羽鶴より食べ物を!という意見はもっともなのだが、食べ物以上に救いになる可能性があるのもそうした物資の役割ではあると思う。これは本当に実際に見るまでは想像すらしていなかった。他にも、頼まれて寄せ書きを届けたこともあるが、こちらの(すみませんね…)という気持ちとは裏腹にとても喜ばれるので、そうしたこともイメージが変わる要素の一つとなった。

だからといってやたらと送りつけるのはやはり問題があるとは思う。
どうしても送りたい場合は時期をみて判断し、箱の中に9割役立つものを入れて、1割をそうした千羽鶴を入れる位であれば、実際に役立ち、気持ちも伝わり、さらにうまく入れれば緩衝材の代わりにもなりそうでよいと思う。また千羽鶴(実際には百羽鶴位になるのか)を送るのであれば、一つ一つしっかりと紐で固定し、飾りやすいようにてっぺんに輪っかなどをつけるなど、余計な手間がかからないように工夫をするとさらによい。

これだけ、送るな!勢力が強いと送る数は減るはずだが、それでも一部の人は送り続けるはず。送るな!勢力はそのまま頑張って送る人を減らしつつ、送る人は少しでいいから配慮をする、位がちょうどよいバランスなのかもしれない。

熊本の実際の様子を私は見ていないため、そちらでの扱いはわからないが、311の経験を踏まえていえば状況によってはとても勇気づけられるモノだということは理解してもらいたい。少なくとも、全否定するようなモノではないことは確かなので、批判をするにしてもその点をぜひ頭に入れておいて欲しい。