轟音事変

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石巻、新世代の登場、活発化するローカルな動き

ご存知の通り、石巻は2011年の東日本大震災で大きな被害を受けたエリアである。発災直後は大混乱に陥っており、支援者として地域に入った私も復興の見通しは非常に遠いものだと感じていた。それでも復旧は早く、支援していたわかめ漁師は「まさか次の年に漁ができるようになるとは…」と驚きながら、漁に出ていたことを思い出す。

当然ながら、爪痕は深く、現在も残る部分は多い。しかし、解体作業などの慌ただしい状況は2015年あたりまでで、それ以降は日常がだいぶ取り戻されていったように思う。今のタイミングで、初めて石巻に来る人にとっては震災はずいぶん過去のように映るのではないかと思う。

復旧が進み、日常が取り戻されればそれで良いのだろうか。そもそも震災前から全国の似たような自治体と同じように、石巻も衰えた地域になっていた。水産業の要衝として栄えた時代は、遠洋漁業の衰退とともに消えていき、もがいていた状態の時に震災が発生。元に戻したところで、衰退していく道筋に大差はない。元に戻したところで、状況を好転させる要素は少ないのである。

今年は震災から10年が経過したこともあり、状況はどうか?復興は進んだか?といった問いを受ける機会が多かった。そうした問いに対して、主に石巻の市街地にフォーカスした上で言えるのは、Uターンのさらなる活躍、そして震災時に学生だった世代の台頭だと答えた。Uターンに関しては数年前から活躍が目立ち、街を牽引する原動力になりつつある。震災時に学生だった世代は混沌を経験し、当時15歳であれば現在は25歳である。彼らの一部は地元育ちでありながら、それまでのローカルな感覚とは異なるものを持つ。移住者が街に普通に存在し、"都会的な文化"もそれまでと比較すれば身近に触れることができる。

リンダ・グラッドンは著書ワークシフトにて以下のように述べている。

"ダイバーシティ(=多様性)はモノカルチャー(=単一文化)を凌駕する。多様な視点をもつ人々のグループと、同じ視点をもった人ばかりが集まったグループが競い合えば、たちまち前者のグループが後者に大きな差をつける。"

地方は時間をかけてモノカルチャーが発展する土壌があると考えられるが、奇しくも震災によりダイバーシティが流れ込んだ。その影響を受けた世代は内と外、両方の感覚が備わっており、それまでとは違った変化を生む可能性があると私は考えている。

そしてその世代が主体的に街に対して、アクションをはじめた。

camp-fire.jp

彼らが街に対して感じていることがよくまとまったテキストは必見。複雑に絡みあった線はあらゆる地域に共通した現状であり、そしてステークホルダーに連なる大人は早々簡単にほどくことはできず、その現状がさらに衰退を"ゆっくり"と加速させる。

SF作家のウィリアム・ギブスン

"未来はすでに訪れている。ただし、あらゆる場に等しく訪れているわけではない"

と述べている。
表に出るまではわからず、確証もない。しかし、ここには来ていたのだと今になって感じる。

街の衰退はニーズの減少に起因する。産業がなければ街はできず、産業があれば街はできる。だから、この取り組みを通じて根源的な解につながることはない。しかし、意義はある。すぐれた価値がある。変化を起こす可能性がある。これだけで街は十分に投資する価値があるのだ。