轟音事変

轟音は"ごうおん"と発音してください。

「情報の雨」から身を守る

最近、意識していることが「情報の雨」をなるべく浴びないようにすることだ。
情報の雨とは、大別すればありとあらゆる宣伝広告(テレビのCM、WEB広告などすべて)、ネットサーフィン、テレビ、SNS、他人の話といった情報のことだ。

ある本に宣伝は1日5000回程度目にするとかかれていた。海外の本のため一概に比較はできないものの、道路沿いで目にする看板なども含めれば達成しても不思議ではない数値だ。試しに自分が通勤で走る道路を想像すると「あそこにはあの宣伝看板がある」と認識している。つまりそれは(多くの場合不要な)広告が頭に刷り込まれているということであり、貴重なリソースが削られているということでもある。

情報の質について聞いたことや考えたことはあった。それでも主体的に避けようと考えたことはなかった。転機となったのは、読書の習慣だ。読書を通して、自分にとって良質で有益な情報がすでに山のように存在していることに気づいたのだ。

イメージで語れば、雑な情報は雨のようなものでざーざー降っており、あたっては流れていき、時として有害な成分も含む。一方で良質な情報は自分で汲む飲み水だ。もちろん水質は重要な要素だが、それを判断する能力も自分で水を汲みにいくことで得られるものだ。だから、水を汲む行為を重ねる事も重要になる。

時間は有限であり、1日で処理ができる情報量は限りがある。だからなるべく雨にあたらないように注意をしながら、水を汲むことが求められるのだ。

雨を避けるには避けることを意識することが重要だ。ネットが悪い、広告が悪いという話ではない。その情報が自分にとって本当に必要なのかどうかをまずは判断しなければならない。必要な情報は人によって異なる。例えばアイドルが好きな人なら該当するアイドルの情報は何が何でも抑えておきたいだろうし、スポーツが好きなら同じように必要になるだろう。ここで一つ言えることは何にこだわるかが重要だということだ。絶対に外せないものにフォーカスし、そこから順位が下がる情報をなるべく切り捨てる行動が求められる。

具体的な方法は対象によって異なるが、例えばネットならアドブロックを導入したり、無料コンテンツを有料に切り替えることで劇的な広告削減効果がある。コントロールできる範囲では簡単に処置ができるため、こうした方法はおすすめだ。

また、本を読むという行為に対しては、時として、興味はあっても内容が難しいものを読むことができない場合もある。疲労があったり、集中力が欠けているような時だ。また自分の場合は1冊を長時間読むと比例して、読書スピードが落ちるという性質もある。1冊に割けるのは精々30分程度。だから、その時の状況に応じて読めるように、最近は常に5冊以上の本を持ち歩くようにしている。例えば疲労を感じた時などに、ふとスマホを開きそうになるが、その時ように読む本を入れておくのである。こうした方法を模索しながらも、なるべく汲んだ水を摂取するようにしている。

最後に1つ印象に残ったエピソードを紹介したい。友人に哲学者がいる。読書量があり、常に研究分野の文献を持ち歩いている。その友人とビル・ゲイツの話になったのだが、その友人はビル・ゲイツを知らなかった。曰く「生きている人は覚えるのが苦手」とのことで、非常に驚いた記憶がある。これは極端な例だが、ここまで集中できるからこそ、その道に進むことができたのだと感服した思いがある。

その友人とまではいかないにしろ、こだわりを持ち、自分にとって必要な情報を摂取していきたい。