轟音事変

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震災復興には街のグランドデザインが必要だ

震災から8年が経過した。

自分は緊急支援期に現地に入り、現在まで石巻に留まる選択をしていることもあり、たびたび外部の人から「今の状況はどうですか?」といったことを聞かれる。

8年も過ぎたのである程度落ち着いていると思われる方も多いと思うが、実はそうでもない。理由としてそれまで設計段階だった大規模工事が施工の段階にどんどん突入しているからだ。道路もあちこちで避難道路として整備されまくり、石巻で言えば橋も新たに2本増える(歩道橋の内海橋も含めれば3本)。長らく更地だった南浜周辺も復興公園に向けて、どんどん作業が進み、沿岸部はとにかくダンプやミキサー車といった働く車がひっきりなしに動いている。こうした慌ただしい風景自体に街が慣れているため、普段は意識しないものの、状況はやはり特殊なままだろうなとは思う。2021年の復興期間最終年度までこの状況は続くだろう。

こうしてどんどん街がスクラップアンドビルドされる様子を見ていて、この計画は本当に「正解」なのだろうかとたびたび疑問になる。本当にその建物は必要なのか?必要だとして復興予算がなかった場合、同じ予算をかけて同じものを作る気はあったのか?箱モノは目立つためそう考える機会が特に多いが、道路や防潮堤、企業への貸付金など疑問に思う場面は多い。

実際に自治体の重要な指標である「人口」は減少傾向が止まらず、「財政」も集中復興期間後はすぐに赤字になることがほぼ確定しており、破綻してもおかしくはない状況だ。

石巻市財政収支見通し 復興後の予算編成方針策定
3か年で82億円余不足 人口減で歳入環境厳しく
https://hibishinbun.com/news/?a=9141

現時点でいえば国費を大きく入れたにも関わらず、それに見合った効果は得られていないと判断してよいだろう。

こうした状況になっている要因は複数あると思うが、その1つに「街のグランドデザイン」を描ききれなかったという点があるのではないかと考えている。これは特に市街地で言えることだが、とにかくバラバラで、街全体でどうこうしようという意図はまったく感じられない。2012年(だったかな)に中心市街地活性化検討委員として会議に出席した際に、立町商店街と呼ばれる1つの商店街が10ほどの地権者組合として細かく分かれていることを知った。さらにその組合毎に復興計画を作成していることを知った私が「全体で計画することはできないのですか?」と聞いたところ、「それは無理なんだよ」と返ってきた。それまで喧々囂々と議論していた委員たちが唯一同意が取れた瞬間だった。現在、石巻中心市街地が新しいマンション風の建物と昔からのたたずまいが残る商店が同居する凸凹した街並みになりつつあるのはそういう理由が背景にあるのだ。

ただでさえ苦しい状況にも関わらず、市民はバラバラでバラバラな市民をまとめる行政は疲弊し主体性がないまま一部の権力者や外部のコンサルになされるがままになされた結果がいまの街の風景なのだ。と少なくとも自分は捉えている。正直な話、現状でいえば再興する可能性は非常に低いと捉えざるを得ない状況にある。

一方で隣町の女川は同じように津波で大きな被害を受けたにも関わらず、可能性は大きく違うように見える。自治体の規模は違うし、原発立地自治体ということで財政面も異なる部分もある。さらに当然「隣の芝生は青く見える」だけかもしれないが、それでも動き方や市民の声を聞いていると石巻と女川では全然違うなと感じるのである。

その違いの元をたどれば女川は震災後グランドデザインに時間をかけた。グランドデザインに時間をかけた分、目の前の作業は遅かったため「女川は復興が遅い」といった声もあったが、逆にその流れが良かったのだと思う。その話は以下の記事にまとめた。

住民主体で進む女川、その背景を探る
http://mikamikami.hatenablog.com/entry/2015/05/02/231254

復興のプロセスがまるで違い、その違いが差に大きく影響しているのだと考える。もちろん、震災前の状況から元々違いがあるし市民性も違うから一概に比較はできないが「グランドデザイン」をしっかり描けた上で進めることができたのかどうかは大きな違いを生むはずだ。

大きな震災があって街の設計を考える必要がでてきた場合はとにかくそこだけは時間をかけて市民が納得する形でディスカッションをしてグランドデザインをしっかり描いた上で進めるべきだし、さらにいえば「震災前」にやっておけばよりベストだ。震災が発生してから決定までは時間がない中で進めなければならないため、どうしても場当たり的な発想になりがちだが、日常的に未来の設計を策定していれば例え震災があっても方針は決めやすいし、スキームは活かせるだろう。

もしこれを読んでいる方で街づくり関係者や自治体関係者がいた場合は、ぜひご自身のフィールドで未来のグランドデザインを時間をかけて策定したら良いのでははないかと思う。街づくりにも役立つが、こうしていざっていう時にもきっと役立つ計画になるはずだ。

というわけで、震災8年目で何か書こうと思い書いてみた。考えがまとまらず勢いで書いたこともありだいぶ支離滅裂なのだが、まあいいか。集中復興期間は残り2年。その間にこの街がどう変化していくか引き続き注視していきたい。