轟音事変

轟音は"ごうおん"と発音してください。

フィジーク大会に向けた減量期間の振り返り

昨年の今頃、本当に日々、ぼんやりと過ごしていた。いわば、軽い鬱のような症状があったと思う。世の中がコロナで騒々しく、仕事も減り、夏の暑さにもやられていた。秋になり、これではいかんな…と立て直しを図り、行きついた先が「リズムがある生活」だった。

それまではタスク先行型で仕事の区切り優先だったが、すべては時間管理に仕切り直した。特に寝る時間を一定にすることが重要で、そこさえ抑えれば起きる時間も固定化され、一日のスケジュールを平準化することができる。この方法で自分の生活は何とか再建することができた。

1日は限りがあり、その中でできることは限られている。だから何に時間を割くのかが、すごく重要になってくる。本質的な生きる目的は幸福をいかに感じられるかどうかだと思っているので、何が自分の幸福に貢献しているかを考えて時間割を決めた。

その中でトレーニングはどうやら自分の幸福度をあげる価値がありそうだとわかったので、日々の習慣に組み込むことにした。そもそも元々運動は好きであり、以前からジムには通っていた。通っていたのだが、そのジムですら悪い時期は通えていなかったのである。

最初はしんどいところもあったが、ジムでこなすメニューなども見直し、習慣化ができてきた。メンタル面が回復することで耐性も整い、少しずつ負荷も追えるようになった。それで、どうせ習慣化していくなら目標を持った方がモチベーションは保てるのではないかと考え、フィジーク出場を思い描くようになったのである。

フィジークの大会に出場することは勝つことが目的ではなく、幸福度の向上という本来の目的のためのモチベーションの維持装置という位置づけに設定したのだ。とはいえ、出場するからにはそれなりの体に仕上げる必要性は感じていたため、年明けから現在までせっせとコンディションを整えてきたのだ。

全体の計画なんかはまた大会が終わった後に書こうと思うけど、今日はその中でも減量にフォーカスした振り返りをさらっと書いておきたい。実はこれを書いている今日は減量の一番きつい日が終わり、カーボアップに入った段階になるため余裕が少し出たのだが、だからこそ減量時の気持ちが薄れないうちに書いておきたいと考えたのだ。

減量は1月からはじめた。減量幅は体重ベースで20キロ。インボディという体脂肪などが細かく測れる機械を利用して、計測した数字を元に全体の計画を立てた。褒められたことではないが、減量に関してはこれまでの人生で(不本意ながら)何度も経験しており、自信はあった。

実際に1~5月まではそれなりに順調に推移していた。減量中のため、空腹感は常に抱えてはいたものの日常生活は特に支障もなく過ごせることができた。問題はそこからだ。6月1日時点で体脂肪率は8.8%になっており、かなり絞れてきた。そして絞れれば絞れるほど、体の辛さが強くなってきた。7月に入ってからはペースが間に合わないことを認識し、食事量や有酸素を見直す。7月もずいぶんしんどい状態が続いたが、特に中盤までは体重の減りもよかったため、気持ちは楽だった。

問題は7月中盤以降で、体の恒常性からまったく体重が落ちない日々が続いた。いわゆる停滞期である。7月29日の段階で体脂肪率は3.7%まで来ており、その少し前辺りから体の抵抗力がめちゃくちゃ強くなっていることを感じた。しょうがないので、さらにペースを上げ、ローカーボ、有酸素マックスと取れる手段をすべて費やしたのだが、なんとそれでも変化がない。この停滞感ははじめてぶつかったもので、焦りが募る。理論で考えればこういう時はむしろカロリーを増やすことで恒常性を和らげることが可能なのだが、終盤でカロリーを追加することは心理的にめちゃくちゃ負担があり、結局実践はできず…しんどさのみを追求する、修行僧のような状態で8月以降は過ごしたのである。

この8月以降は本当にしんどく、常にemptyランプが付いたまま走る車のように、心身共に枯渇していた。それでもふらふらになりながらもトレーニングを実施し、仕事をこなし、それ以外はもう何もすることができない状態になった。日課の学習や読書もこなすことができなくなり、特に夜は何もする気力がなくなった。普段は気持ちにムラがほとんどないが、常にムラが出るようになり、ちょっとしたことでいら立ち、周囲に対しても余裕がない。例えば「イヤホンで音楽を聴く」という行為すらもストレスを感じるレベルまで追い込まれた。枯渇した体に合わせるように、心身共に50%以下の能力で回しているような感覚で、とにかくしんどい日々が続いた。いやー本当にしんどかった。

繰り返しになるが、本来は日々の幸福度の向上につなげるために運動している。はずだが、心身を摩耗することでまったく幸せではない環境になり、疑問を持つことも多々あった。「本末転倒ではないか…」と。それでも何事もはじめてのことはストレスがかかることは当たり前で、マネジメントサイクルを回さない限りは学習もできない。今のベストを尽くして、次につなげる気持ちで耐えて、まずは乗り越えるようと気持ちを持ち直し、そして何とか乗り切ることができた。

当初、定めた目標である体脂肪率3.0%も達成した。ここまでやりきることができた事はよくやれたとは思う。しかし、想定外だったことはこれでも仕上がっていないという現実である…が、そういうことを学ぶための初回であり、学べたことが大きい。今回に関してはまずは出場、出場して理解をすることが目標なのだ。

とまあ、今回の投稿でずいぶん細かく書いてしまったが、大会が終わったら再度まとめ直したものを書こうと思う。

7月の振り返り

今朝、ニュースをつけたら「石巻に台風が上陸した模様」との一声が聞こえてきた。夜中にかけて少し風が強まったように思うが、今はとても静かで外も曇ってはいるが雨は降っていない。ここに台風がにいるとは思えないが、どうやらここにいるようで、避難所の情報や運休の情報がL字で並ぶ。大げさだなあと思わなくもないが、昨今の状況を考えれば備えあれば患いなし。慣れたくはないものではある。

慣れるといえば、体が減量期に慣れて停滞期に入った。減量に関してはそれなりの経験があり、状況を理解した上で対応はできるのだが、これだけ長い停滞は初めての経験だ。これまでも一週間程度停滞することはあるがそれでもその後改善されることが多く、特に問題に感じたことはなかった。それが今回は2週間近くの停滞だ。体の恒常性が機能し、「これ以上は落とさせんぞ!」と省エネモードに入ることで停滞につながるようだが、なかなかの粘りである。自分の体のことながら、驚きがある。あの手この手を使い、刺激を入れるも落ちない。来月に迫った大会までに間に合うのか…と焦る気持ちもあるが、いずれにしろベストを尽くすのみ。やることをやった上であとは結果を受け入れるしかないよなと前向きに捉えている。

7月は減量による空腹感で1日の後半が持たなくなる現象も見られた。それはまあまあストレスだったが、それ以外の余計なストレスは少なく気持ちよい日が続いたように思う。まずまず仕事をこなし、そして新たな勉強も開始した。中小企業診断士と英語。診断士は来年度の試験に向けた勉強で、いろいろ悩んだがスタディングを受講することにした。英語は前からやらねば詐欺を続けていたので、合わせて開始。DuoLingoと中学文法からスタート。まずは習慣化が目標なので継続をしていきたい。勉強の項目が増えたため、ベーススケジュールもアップデートを行い、今月から新しいベースをスタートした。まったく忙しくはないのだが、時間はない。と言いつつそれなりにSNSを見ていたりするのだがら改善点はまだまだあるのだよな…

来月はまずは減量をしっかり続け、大会に向けて集中。仕事も働き方の方針が固まってきたため、少し違ったことをする可能性はある。さらに9月からはTHE COACH Academyの基礎コースを受講するため、その前準備も進めていきたい。

とまあ、今回は最近のことをなんとなくまとめた記事を書いてみた。こう書いてみると、もう少し掘った内容を書きたくなってくる。大会関連、診断士、コーチングあたりは別記事で書いておきたい。というわけで、また次回。

東京2020オリンピックの前に思うこと

唸るような暑さが続く。

海風が吹く石巻でこのありさまなのだから、都会、東京はさぞかし厳しいだろうなあと思う。立っているだけでずいぶん消耗するのではないだろうか。熱中症も心配だ。

さて、この暑さの中「東京2020オリンピック」がいよいよはじまる。いよいよだね。いちいち触れはしないが、バラエティに富んだ豊かな負債をすべてさらけ出すようなトラブルが頻出し、日本国内ではすでに忘れられないオリンピックになっているのではないだろうか。

自分はスポーツをやるのもみるのも好き好き人間であり、マニアックな競技も放映してくれるオリンピック期間はいつもは楽しみにしている。夏季だけでなく、冬季も好きで、時差の関係で夜中に映し出される大回転あたりはエモさがあってめちゃくちゃいいんだよね。なんでこの人らこんなことやってんだろうなーなんて思いながら見ていると、どの競技でも醍醐味要素が見えてきて面白くなってくる。競技は予選からはじまり、決勝まで、ボルテージが徐々に上がる感じ、序二段から結びの一番まで続くあの感じがいいわけで、可能であればわりと長時間見ていたい。

だが、今回の五輪は興味が非常に薄い。さまざまな「絶望的要素」は前提としてあるのだが、、単にスポーツ好きとしても今回のオリンピックは選手が本来のパフォーマンスを引き出しにくい要素に溢れているため期待ができない点もあげられる。

スポーツに馴染みがない人からすればあまりイメージがしづらいかもしれないが、本番にピークを合わせるピーキングはどの競技、選手でも難しい。通常でも難しい作業なのに、これだけイレギュラーな状況が続けば合わせることは困難と言えるだろう。おそらくだが、ピークを合わせることができず本来の力を発揮できないまま敗退する選手も多くいるのではないかと思う。それも勝負かもしれないが、一ファンとしては本来の力を出し切った上での熱戦を期待したいのだ。

そのような状況だから海外のファンも大して注目しないのではないかなーと思う。仮にこれが他国開催だったとすれば、自分も「へーこんな状況(コロナ禍)でもやるんだー」くらいの軽い見方になると思う…と書いておきながら、いやいや待て待て、軽い見方だからこそ競技そのものに注目しそうな気もしてくる。むしろ、他国ならごちゃごちゃを見ずに競技そのものだけを"うまいこと"見ることになるはずだから、そうなるとむしろ普通に見るのではないか。

開催国だけがすべてを背負い、しかも楽しめない。他国は特に不都合なく、競技にフォーカスして楽しめる。つくづく貧乏くじを引いたイベントになってしまった。

今回の件はプロジェクトそのものが暴走しており、そこに加担をすればリスクを背負う構造になっているように見える。まともな改善にリソースを割くことがリスクになるからまともな人がまともに手も出せない。こうなると誰も責任を持てなくなるため、すべてがグダグダとなってしまったのではないかと思う。ゆえに、問題は会期中、そして会期後も続くのであろうと推測はしている。なんと絶望的なことか。そうしたところになるべく関わりたくない、エネルギーを費やしたくないという気持ちが根底にあるのも興味が薄れている要素なのだろうと思う。

終わったあとはどうだろうか。これまでに抱えた負債ですでに上がる要素はないのだが、どうせやるならこれ以上下がらないで欲しいとは思う。いや、無理か。これだけ予想を超えて悪くなってしまったことを考えればより下がらないという期待は難しい。さて、どうなるか。

石巻、新世代の登場、活発化するローカルな動き

ご存知の通り、石巻は2011年の東日本大震災で大きな被害を受けたエリアである。発災直後は大混乱に陥っており、支援者として地域に入った私も復興の見通しは非常に遠いものだと感じていた。それでも復旧は早く、支援していたわかめ漁師は「まさか次の年に漁ができるようになるとは…」と驚きながら、漁に出ていたことを思い出す。

当然ながら、爪痕は深く、現在も残る部分は多い。しかし、解体作業などの慌ただしい状況は2015年あたりまでで、それ以降は日常がだいぶ取り戻されていったように思う。今のタイミングで、初めて石巻に来る人にとっては震災はずいぶん過去のように映るのではないかと思う。

復旧が進み、日常が取り戻されればそれで良いのだろうか。そもそも震災前から全国の似たような自治体と同じように、石巻も衰えた地域になっていた。水産業の要衝として栄えた時代は、遠洋漁業の衰退とともに消えていき、もがいていた状態の時に震災が発生。元に戻したところで、衰退していく道筋に大差はない。元に戻したところで、状況を好転させる要素は少ないのである。

今年は震災から10年が経過したこともあり、状況はどうか?復興は進んだか?といった問いを受ける機会が多かった。そうした問いに対して、主に石巻の市街地にフォーカスした上で言えるのは、Uターンのさらなる活躍、そして震災時に学生だった世代の台頭だと答えた。Uターンに関しては数年前から活躍が目立ち、街を牽引する原動力になりつつある。震災時に学生だった世代は混沌を経験し、当時15歳であれば現在は25歳である。彼らの一部は地元育ちでありながら、それまでのローカルな感覚とは異なるものを持つ。移住者が街に普通に存在し、"都会的な文化"もそれまでと比較すれば身近に触れることができる。

リンダ・グラッドンは著書ワークシフトにて以下のように述べている。

"ダイバーシティ(=多様性)はモノカルチャー(=単一文化)を凌駕する。多様な視点をもつ人々のグループと、同じ視点をもった人ばかりが集まったグループが競い合えば、たちまち前者のグループが後者に大きな差をつける。"

地方は時間をかけてモノカルチャーが発展する土壌があると考えられるが、奇しくも震災によりダイバーシティが流れ込んだ。その影響を受けた世代は内と外、両方の感覚が備わっており、それまでとは違った変化を生む可能性があると私は考えている。

そしてその世代が主体的に街に対して、アクションをはじめた。

camp-fire.jp

彼らが街に対して感じていることがよくまとまったテキストは必見。複雑に絡みあった線はあらゆる地域に共通した現状であり、そしてステークホルダーに連なる大人は早々簡単にほどくことはできず、その現状がさらに衰退を"ゆっくり"と加速させる。

SF作家のウィリアム・ギブスン

"未来はすでに訪れている。ただし、あらゆる場に等しく訪れているわけではない"

と述べている。
表に出るまではわからず、確証もない。しかし、ここには来ていたのだと今になって感じる。

街の衰退はニーズの減少に起因する。産業がなければ街はできず、産業があれば街はできる。だから、この取り組みを通じて根源的な解につながることはない。しかし、意義はある。すぐれた価値がある。変化を起こす可能性がある。これだけで街は十分に投資する価値があるのだ。

歩く街、歩かない街

先日、久しぶりに都会へ出た。都会は歩く。駅から目的地へ、とにかく歩く。階段を下り、階段を上り、せっせと歩く仕様になっている。

田舎はとにかく歩かない。とにかく車。歩いて5分の場所でも可能な限り車で移動する。歩かないし、歩けない。石巻には日和山という観光スポットがある。そこへ案内する時によく使われる言葉として「東京から来た人なら行ける」がある。東京の人は歩くことに慣れているため、歩けるが、地元の人は歩けないのである。びっくりするが、本当の話だ。

私は普段からジムでせっせと運動しているため多少はマシだとは思う。それでも慣れてはいないため、起伏がある道を歩けば額に汗をかき身体に負担を感じる。周囲の都会人は平気でスタスタと歩いていく。大きな違いを感じる。

日常的に歩く文化が一般化されている地域は、体力向上が見込まれ、まず身体的なメリットがある。また、車では目的地から目的地へ点の移動になるが徒歩は線で動けるため寄り道が発生し、商業的なメリットが生まれる。そして排気ガスが出ないため、環境的にもメリットがある。少し考えただけでもメリットだらけである。歩けるという事は道路環境も良いはずで、比較すれば障がいを持っている人にも優しい可能性は高い。

歩かない文化、つまり車社会のいいところはなんだろうか。重たいものを運ぶことができる、移動が楽、車を所有さえしていれば誰でもサードプレイスを持つことができるといったところだろうか。これらは社会的なメリットではなく車そのもののメリットのように思う。

田舎はそもそも車がなければ移動が困難になるため、どうしても車がメインにはなる。とはいえ、商業エリア、市街地エリアが栄えていた時代は歩く文化もあったはず。それが車にとっても便利な無料駐車場が組み込まれたロードサイド店、郊外大型店舗が生まれ、徐々に商店街は衰退していった。そう考えると街の衰退と、歩く文化の衰退はリンクする部分もあるように思う。

歩かない街はどんどん更けこむ。
街を改善したいのであれば、人を歩かせる方法を検討する必要がある。

そんなことを額に汗をかきながら、考えた。

1日のスケジュールに「ハーフタイム」導入のススメ

一日のスケジュールをバチバチに区切って生活をしているのだが、特に特徴的な点は「ハーフタイム」がある点だ。午前の仕事を終えるところまでは一般と同じだが、その後のルーティーンに特徴がある。

お昼ご飯→読書・勉強→ジム(筋トレ→サウナ)

という順番でほぼ毎日回す。時間は変動するものの概ね12時~15時である。そしてジム終了後に午後の仕事を開始するのがお決まりの流れだ。最初はランチ→ジムの順番だったが、そうすると当然ながらトレーニング内容に応じて嘔吐しかけることがある。そこで改善を図った結果、読書・勉強を挟むようになった。

このルーティーンにしている理由は大きく2つある。1つは、気分の切り替えができる点だ。ご飯を食べ、本を読み、ハードに運動し、サウナも入る。そうするとサウナ効果もあり、終わった後は「サパー」とした気持ちに溢れるようになる。午前に溜まったキャッシュが整理され、朝一がもう一度来るような感覚だ。午後の仕事はまたまっさらな気持ちで臨むことができるため、仕事に対するモチベーションを保てることもできる。たまにルーティーンに入れず、一日中仕事を続けることもあるが、そういう時に後半のバテを実感する。慣れの問題かもしれないが、昼間のルーティーンを入れたほうが、1日をだれずに過ごすことができるため、結果的に生産性は向上する。

もう1つは単に昼のジムが空いているという点である。混雑した状況でトレーニングを行う場合、マシン待ちなどが頻繁に発生し、効率が悪い。また田舎とはいえコロナ禍ということもあり、なるべく混雑は避けたい。そうなると、自然とガラガラの昼間がベストになる。昼間に来る人は高齢者や主婦層が多いため、フリーウェイトなどは自由にやれる状況だ。ここを逃さない手はないのである。

また、最近気が付いた点としては、夜にがっつりトレーニングを行い、サウナに入ると体が覚醒してしまい、自分の場合は寝つきが悪くなるようだ。心拍数もやや上昇しているのかもしれない。こうした問題も、昼間にルーティーンを回すことで回避することができる。寝るころにはすっかり落ち着いており、影響は皆無だ。

条件が揃わないと、なかなか導入できる仕組みではないと思う。ある程度の裁量、自由がなければ組み込むことができないはずだ。それでも普段からジムに行くような人ならば、自分のベストなスケジュールを組むと昼間ルーティーンは非常によい選択肢になるはずだ。ちなみに、朝は脳がすっきりした状態のため、そこで脳を使う作業をこなさないのは少々もったいないように思う。

同じような要素を取り入れ「普通の生活」をしている人は、ちょっと無理をしてでも一度試してみることをおすすめします。

目標がないと目標は達成されることはない

ダメになった時期を乗り越えることができた要因の一つに筋トレがあります。こう書き出せば、「おいおい、筋トレがすべてを解決するソリューションだ」なんて言い出すんじゃないかと勘ぐられそうですが、そうではありません。筋トレは万能ではありません。しかし、元々運動が好きだった私は適度に身体を動かすことで、よい影響を受けたことは確かです。

よく勘違いされますが、私が筋トレを続ける理由は「マッチョ」になりたいからではありません。私が強く意識しているのは「日々の幸福感」です。幸福感の向上に運動がよい影響を与えると感じたため、手段として筋トレをしています。結果的に筋肉はもたらされますが、それはあくまで結果です。

だから強度よりも継続できることが優先です。そのためにはモチベーションを高く保つ必要があります。そこで大事になるのが目標です。初期段階では「ジムに行く」ことを目標にしました。ただ行くことだけです。次に習慣づいてきた段階で、重量の目標や身体的な目標を立てました。さらに進み、今は大会に出ることを目標にしています。大会で優勝することではなく、出場することを目標にすることにより、意識が高まり、日々のトレーニングに対するモチベーションを強くすることを狙っています。そして今のところ、この目標設定が向上に大きく寄与していると感じています。

当然のことですが、目標がなければ目標は達成されることはありません。しかし、聞けば目標を明確に持つ人はは少ないように思います。一方で願望はあるようです。願望は願望であり、叶ってもそれは運の要素が強くなります。そのため本気で願望を叶えるためには目標に切り替えて主体的に取り組む必要があります。目標設定を行い、計画を立てて、そこに向かうことにより叶う可能性は増します。ただ痩せたい、お金持ちになりたいと願望を持っていてもそれは願望でしかありません。願望があるならば目標化しないともったいないとすら思います。

もちろん、目標を明確にするためには目的が必要です。さらに前提として変化を受け入れる土壌、ストレスに耐えうる身体、つまり心身の健康が必要になります。弱っている状態で、強いストレスを受ければさらに弱まるだけです。心身の健康はすべての土台です。そして余裕が出たらチャレンジする選択を持つことができます。無理は禁物です。

自分の状態を見つめながら、積極的に主体的な目標設定をしていくことをおすすめします。