轟音事変

轟音は"ごうおん"と発音してください。

住民主体で進む女川、その背景を探る

被災地の中で、今一番復興が進んでいる地域と呼ばれているのが女川だ。

一番という表現が正しいかどうかはわからないが、私のイメージでも着実に進んでいる印象がある。そのイメージはなぜ生まれたのか、またなぜそうした進み方ができているのか、先日お会いした女川の支援団体アスヘノキボウの小松代表の話も踏まえて分析していきたい。

まず、なぜ私が着実に進んている、という印象を受けているかだ。

現状の女川は更地になった場所にようやく、駅とフューチャーセンターができた…だけではある(まもなくバシバシ他の建物もできますが)。おそらく何も知らずに女川へ来た人からすればまだ何もない、"綺麗な駅ができただけの街"に見えると思う。それにも関わらず、進んでいる印象を受けるのは"街の設計図"がしっかりとできているからだ。

ここでいうしっかりとは市民の合意形成が取れていることを指す。設計図自体はどこの自治体にでもあるだろうが、その設計図に市民の意向が反映され、そして理解されたものであることはどれほどあるのだろうか。町の人が町がどういう方向に進み、進捗を理解し、今はどういう時期なのかを把握している、それが今の女川なのだ。

それは簡単なようでいて難しく、石巻の事例に関しては別個のエントリーで分析を試みたい。

さて、それではなぜ女川ではそうした合意形成が取れたまちづくりが進められているのか。ここからは、アスヘノキボウの小松さんの話を振り返りながら分析していく。

はじめにざっくり小松さんの紹介。

アスヘノキボウ
http://www.asuenokibou.jp/

女川フューチャーセンター
http://www.onagawa-future.jp/

震災後女川に入り支援を継続的に行っている。
町長を始め内外の方から手腕を評価され次々と女川で事業を進めている。

小松さんとの対談で得られたポイントは大きくわけて3点だ。

1.街に残るものだけで協議会結成
震災後一週間も経過しないうちに、女川の大手かまぼこ店「高政」の社長が生きている人をできるだけ集めた。そして、今後街に残る人、残らない人を判断する面談を行い、その後「残る人」だけで今後を考える復興協議会を設立した。

2.協議会は若手主体で運営
その高政の社長(高橋さん)が会を運営するに辺り『60代は口を出すな。50代は口を出してもいいけど手は出すな』というルールを定めた。これから10年20年続く長い復興期間で中心になるべきは年寄りの自分たちではなく、30代から40代といったこれからの世代が担うべきだと考えたからだ。聞くところによれば、やはり中には口を出そうとした人もいたようだが、そうした意見も全て高橋さんが汲み取り、若手が運営しやすい環境を整えたそうだ。

3.協議会と行政のつながり
その協議会が震災後1ヶ月程度で発足し、その協議会がいわば"シンクタンク"として機能する。意見を集約し、それを行政や国に直接訴えていく。ここだけでも十分成果があがった協議会になったが、さらに飛躍する機会が訪れる。それは、協議会のアドバイザーとして参加していた当時宮城県議会議員である須田善明氏が女川町長に当選したことだ。これにより、協議会と行政の結びつきがさらに強化され、町と市民が一体となり、復興への道のりを歩むこととなった。

意識ある地元若手主体のシンクタンクが行政と結びつき、まちづくりが行われる。なるほど、とても理想的な流れで、この流れはまちづくりに悩むどの自治体にも参考になる事例であろう。

もちろん現在の姿はこれだけが理由ではないと思う。
比較的規模の小さい自治体、小松さんは町外出身者だがそうした外部の人間を受け入れる素地、女川人の女川への愛情(郷土愛の高さ)といった点も影響しているであろう。

そしてもちろん原発による恩恵もあるだろう。

宮城県の財政力指数
http://area-info.jpn.org/KS02002040002.html

女川は宮城県の中で仙台市を差し置いて、もっとも財政力のある町と評価されている。原発の評価はまた別個の問題として捉えるとして、原発があることにより余裕を持った自治体の運営ができることは1つの事実ではある。

私自身も震災当初の被災地支援の際に、それは感じていた。各自治体の災害本部に伺って各担当者と話す機会があったが、相対的に見て女川の担当者はどこか余裕があった。ニーズを聞き出しても他の自治体とくらべて要望は少なく「お金がどんどん無くなります」と言っていたことを印象的に覚えている。他の自治体でそうした言葉は聞いたことがなく、お金で解決できることが他と比べて多いことを実感した瞬間だ。

また、原発があることにより一定数の町外出身者が町内にいる状態となり、そうしたことも外部の人間を受け入れる素地になっていたのではないかと推測もできる。女川の話をする上では、この原発があることにより人と金に関して他の自治体と背景が違ったものになることは念頭に入れておくべきではあると思う。

とはいえ、原発を引いてみてもその取組はやはり注目すべきものだ。小松さん曰く「女川は当初復興が一番遅いと評価された町、今でこそそういう風に言われているかもしれないが、ここに住む人達は現状に満足している人はいない」とのこと。これから先どのように進めていくかを常に真剣に協議しているそうだ。

今の女川駅から見える風景はまだまだ茶色い。
しかし、何もないのにこれからどうなるかは見えている。
そしてその見えている未来に向けて住民が主体となり動き、また未来が作られている。

これだけ変化がある街もそうはないだろう。
そもそも駅前にフューチャーセンターがある街なんてそうそうないはずだ。

この興味深い街を今後も興味深く追っていこうと思う。