轟音事変

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石巻市の人口推移を更に理解する

前回のエントリーで石巻市の人口推移に関して書いた。

石巻市の人口推移を理解する
http://mikamikami.hatenablog.com/entry/2015/04/24/104152

この記事を書きながらふと疑問に思ったことがある。それは一言で石巻と言っても、その面積は広大で人口推移も地域に寄って大きな差があるのではないか、というものだ。石巻の面積は555.8km2。東京23区が622km2だということを見ればその大きさがなんとなく理解できる人も多いと思う。しかも、三陸特有のリアス式海岸を有しているため、地形的にも複雑になっている。石巻から牡鹿半島の端である鮎川に行くよりも、隣県の山形の方が(時間的に)近いと言われるほど、同じ市内でも遠い。

それもそのはずで石巻市平成の大合併桃生町河南町河北町、北上町、雄勝町牡鹿町石巻市の一市六町の合併によってできているのだ。当然その分体は大きくなる。

というわけで、このエントリーでは石巻市の人口推移を地域別に分析をしていこうと思う。
今回使用した資料は、

石巻市-統計書-第3章 人口
https://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/10102000/0040/3914/20130301161659.html

に出ている資料だ。
細かく様々な情報が出ていて興味深い。PDFとエクセルってことで少し躊躇いがでてしまうものの、こうしてサイトから見れるようになっているのはとてもありがたい。

ではさっそく図を見ていこう。

f:id:mikamikami:20150427212216j:plain

ばーん。
地域別の人口推移が出ていて、これぞ求めていた資料といったところなんだけど、これだといかんせんわかりづらいので、ちょっと手を加えた。

f:id:mikamikami:20150427212225j:plain

どーん。
各地域毎に、減少数と減少率を追加し、さらに震災前と震災後の平均値も出してみた。さらにその平均値に対し、人口が減っていれば赤系、人口が増えていれば青系の背景色を追加した。濃い色ほど増減が大きく、震災の年である23年は灰色でわかりやすく…もした(ざくざくやったのでカラーリングが微妙なところは目をつぶろう)。

さて、まずはわかりやすい安牌な地域を見ていく。
ここでいう安牌な地域とは震災前も後も大差がない地域のことを指す。

・河北総合支所
・桃生総合支所
・河南総合支所

この地域は差が余り少ない。
増減が少ない理由としてはこの地域は石巻の中では内陸に位置し津波の影響をほぼ受けていない地域だからだと推測できる。3つとも震災前の人口は微減しているが、震災後はやや増えている。これは震災後、沿岸部の人間が仮設なども含めて移住してきたからだと考えられる。河南が比較的多く増えているのはより海が近く、仮設の数が他よりも多くあるからだと思われる。

次に見ていくのはわかりやすく人口が減っている地域だ。

・荻浜支所
雄勝総合支所
・北上総合支所
・牡鹿総合支所

これらの地域は沿岸部に位置するため、どの地域も津波の被害を大きく受けた地域だ。そのため、人口の流出も増大したことは容易に想像できる。また震災前の推移が共通して他の地域に比べ、減少率が高い点も特徴的だ。もともと人口が減っていた地域が津波の被害で加速度的に流出したことがよくわかる。荻浜支所も深刻だが、地理的に断絶された雄勝地域はより深刻だ。震災前も、震災後も減少率は1位でものすごい勢いで流出していることがわかる。逆に下げ止まりしつつある、牡鹿総合支所は興味深い。何か下げ止まりに寄与する事例があるのだろうか。。

さて、ここからは個別に見て行きたい。

・本庁

本庁はいわゆる旧市街地で石巻市の中でも中心部を指す。このデータを見た時に一番興味深かったのがこの地域だ。なぜかというと、震災前の減少率が中心部よりの稲井、渡波といった比較的中心部に近い"田舎"の地域よりも高かったからだ。中心部の人間がほかの地域よりも減少率が高いというのは興味深い。震災後も減少は加速し、流出が続いていることがわかる。ただし、本庁は管轄が広く、市内で一番人的被害が大きかった門脇・南浜エリアも管轄のためこの地域の影響なのか、比較的被害の少ない市街地から流出しているのかはこの表だけでは分析することは難しい。

・蛇田支所

石巻のトレンドは時代とともに西へ西へうつっている。その今の先端がこの蛇田地区だ。イオン石巻を筆頭に、バイパスなどのお店も充実している。三陸石巻河南ICが通るなど交通の便も比較的よい地域だ。石巻の若い層の中では人気の地域となっている。それがこの表からも読み取れる結果となった。震災前から唯一人の増加があり、震災後は更に増えている。今後イオン石巻そばに大規模な復興公営住宅が建設されるため、その伸びはさらに顕著なものになると予測される。

・稲井支所

稲井支所は震災後大きく人が増えた地域だ。その理由は大規模な仮設団地、南境仮設団地と開成仮設団地を管轄しているからだと考えられる。この仮設は被災地の中でも最大規模となるため、この増加は妥当。そして、今後蛇田の復興公営住宅が建設されるとともに、この割合の大部分がそのまま移動していくと予測できる。

渡波支所

最後に渡波支所だ。この地域も海に隣接しているため直接的な被害を大きく受けた地域だ。それにも関わらず、減少率は少なめで平成26年に至ってはプラスに転じている。理由としては被害が比較的少なかったこともあるが、それよりも牡鹿半島の住民が半島の付け根である渡波地域に移りすんでいる可能性が高いと見ている。牡鹿半島で家をなくした人からすれば、地元にも近く、街なかにも出やすい渡波は比較的住みやすいエリアだと捉えているのではないだろうか。牡鹿半島の各浜の復興とともに、渡波の人口推移を追っていけばその裏付けにもなるはずなので、今後も追っていきたい。