轟音事変

轟音は"ごうおん"と発音してください。

311で物資支援をしていた際に困惑したこと

前回の記事には様々な声が集まった。

"千羽鶴被災地に送ることは完全に無意味なことではない"
http://mikamikami.hatenablog.com/entry/2016/04/18/212006

書いている段階で批判を受けやすい記事であることは自覚しており、そして私はわざと炎上させるような趣味はないため、いやだなー怖いなーと思いながら記事をアップした。結果的には賛否の否は多いが、賛の方も中にはいて、想定していたよりかはバランスが取れたブコメが並んでいるように感じた。

批判的な意見に関して、これはだいたいの内容が同意する内容だと感じている。もしかしたらあの記事を読んで、私が「千羽鶴を推奨する人」だと思われた方もいるかと思うが、私は千羽鶴を送付する事はできればやめて欲しいと考えている。

例えば友人が物資を送ろうとしていて、そこに千羽鶴ないし寄せ書きを入れようとしていることを知ったら、理由を伝えながらまずは止めて代替案を示し、それでもどうしても入れたいとなった場合は、前回の記事に書いたような妥協案を提示するといった事をすると思う。

そんな私がなぜわざわざ批判が来るであろう記事を書いたのかと言えば、実感として「それでも現状の千羽鶴批判は行き過ぎなのではないか」と感じたからだ。批判はわかる、しかし「送る人は愚か」といった風潮は、それはそれで問題があるのではないかと考え、とても極端な例だと認識しつつも、緩衝材に少しでもなればと思い千羽鶴が役に立つ事例もあるということを示す記事を書いた。

人は信じるものしか信じないってのは一理あると思うので、こんな辺境のブログですら、千羽鶴をポジティブに捉えている記事があるぞ!やっぱり千羽鶴は必要だったんだ!と思う方が見ているかもしれない。だとすると、あの記事には妥協案は書いてあるので「そうか、こういう方法なら大丈夫なんだな!」って思われれば、まだマシに…なるかもしれない。おそらく、攻撃的な批判よりかは受け入れやすいはず。

と、前回記事に関してはそんなところでしょうか。
他に千羽鶴に関しては「広島・原爆記念館の10トン分の千羽鶴を1億円かけて処分」という内容が気になったので、ちょっと調べて今度記事にしたいとは思っている。10トンに1億はどう考えてもかかりすぎだと思うが、どうだろうか。

それで、書きながら当時のことを思い出すのだが、自分が311の物資配布の経験上、これは困ったなあってのがいくつかあったのでそういったものもついでに紹介したい。

◆その1「時期ずれの物資」
熊本地震でもすでに発生しているようだが、震災発生から現地のニーズは時間と場所により刻々と変化をしていく。今回の震災でも、地震から数日はあれだけ「水がない」といった情報が出ていたが、そうした問題は本当に数時間単位で改善されていく。他の物資もそうだが、現在は物資そのものを受け入れストップする自治体が増えてきている段階に入った。そもそも物資に関して問題となるのは物の総量というより「物流」であり、物自体が不足しているというよりかは物はあるけど届けることができないといった状況が問題になる。そのため、ある程度物流さえ回復の目処が出れば、一気にモノは被災者の元へ届けられる。東日本大震災の場合は、それでも範囲が広大すぎたため、行き届かない地域というのがあり場所によって差がでる状態もでていた。現地で活動している団体ならば、直接そうしたニーズの変化に対応することはできるが、遠方から物資を送る人はそうした変化に気づかずに送る場合も多い。場合によってはイメージで送付する方も多く、数ヶ月経過したにも関わらず、水やオムツを送付する人、なんて方もいる。こうした物資は当然配ることも難しく、対処に非常に困惑する場合も多い。

◆その2「控えめにいってゴミといえる物資」
その1に関してはなんとか役に立てれば、という気持ちが伝わり、また生活用品のため工夫をすればどうにかなる物資ではある。千羽鶴や寄せ書きに関しても同様に気持ちは理解できるため、まだ納得もできる。しかし、これらを凌駕する絶句するような物資は本当に届く。よく言われる古着はまだ着られる状態ならまだしも、服の機能が失われたものも多く届き、使用済みの上靴や、なんなら片足だけの靴といったものも送られてきた。他にも使用済みの文房具類(箱1つ使い古した鉛筆といったものもあった)、壊れたおもちゃなど、一体誰に対しての物資なのか、まったく理解できないものも中には混じってくる。この辺の物資を見るたびに、善意とは何かを度々考えたことを思い出す。熊本地震でも個人が現地に物資を送ることができた段階で、このような物資はおそらく混じっていると思う。こうした点を見れば、身も蓋もない意見かもしれないが、そもそも個人が物資を送ること自体やめた方がよいのではないかと思わなくもない。

◆その3「1と2を積極的に配布する人たち」
2に関しても、まだ…まだね、まだなんとかぎりぎりで擁護できなくない…部分もある…か。それなりにまともな団体を通して物資を送る場合は、団体で適宜判断をするため、問題はその段階で排除される可能性は高い。自治体に送る場合も仕分け作業でうまく仕分けされているはず。しかし、もっとも問題となる点はそうした"善意"の気持ちが溢れまくり、行動にうつし、現地に来られた方だ。本当に、謎の個人で支援に来ている方がいて、そうした方は直接その善意を被災者の方に届けてしまう場合がある。私も一度そうした方に巻き込まれたことがあり、その際に対話をしたものの、想像できると思うが話が通じない。物に込められるならまだしも、本人が来てしまうともうどうしようもない、という印象だ。せっせと、仕分けをして平等に物資を配布している避難所で「あの女の子にね、ポテトチップスをあげたらね、とっても喜んでね、本当に…もうね…(感極まる)」みたいな話をする謎のおっさんもいた。場所によっては事案だろうよ…。

と、こんなところでしょうか。
結論を言えば、個人が物資支援を行うことは中々難しい側面があるため、悩んだらやはり「お金を送る」ことがよいだろう。じゃあ、どこにお金を送るんだって話はまた難しい話ではあるが、ようするに自分がピンとくる場所でよいのだとは思う。赤十字や赤い羽根に、yahooやCAMPFIREなど色んな選択肢はあるが、

認定NPO法人NEXTEP
http://www.nextep-k.com/2016/04/23/3900

↑こうした地元の信頼できそうな団体に直接寄付することも選択肢の1つだ。

さらに、やっぱりお金だけだと味気ないなあって人はいわゆる「買って応援・食べて応援」が実感も伴いよい方法だと思う。個人的に愛用しているところでいえば、

通宝海苔の「のり通」
https://www.478124.com/

↑ここのふりかけがおすすめだ。
一時ふりかけにはまり、色んな会社の種類を食べたがここのがとても美味しい。
特に、

海苔職人の百年ふりかけ 鰹ビン
https://www.478124.com/products/detail.php?product_id=31

↑このふりかけが高いけど美味い。
ネットで購入できるため、直接お金を届けることができることも大きい。白米が好きで、ふりかけが好きで、何か熊本のものを…と思っている方にぜひおすすめしたい。

千羽鶴を被災地に送ることは完全に無意味なことではない

ようやく仕事が一段落したため、少しだけ熊本地震について書きたい。

災害が発生してから、様々な情報が入り、言及したくなるような事も多く、今であれば「なんで物資が届かないの?」ってところだと思うけど、これに関しては言及されている方が出てきて事情は察しつつあると思うので、今度また時間ができれば書きたい。

一方であんまり書かれてないけど、これは書いときたいなと思ったのが「千羽鶴被災地に送る」ということ。twitterで、千羽鶴で検索をかけると物凄い勢いで否定をされていることがわかる。すごい勢いだ。例えば、

https://twitter.com/MAEZIMAS/status/721767612561039360

こうしたツイートが伸びている。
初めに書いておくと、自分も当初はこうした考え方だった。必要ないだろう、そのスペースに他のものを詰めたらよいのでは…、などなど。

しかし、実際に物資配布をするとその考え方はがらっと変わった。
私は311の際に東松島市から陸前高田市までおよそ100ヶ所以上の避難所をまわり、細かく物資支援をしていた経験がある。避難所と一括りにしても、実はそれぞれで全く性質は異なり、そうした違いを書けるほどには当時沢山の避難所を見ていた1人だったと思う(その辺はまた今度書きたい)。
それで実際に避難所に行くと、まず大体の場所で寄せ書きや千羽鶴は飾っており、さらに場所によってはよっぽど大事にしているなってことがわかるような扱われ方をしているところもあった。特に印象的だったのは南三陸町の馬場中山にあった避難所だ。その理由はとてもわかりやすく、当時撮影した写真を見てもらえれば何となく理解できると思う。

f:id:mikamikami:20160418212408j:plain

これは当時twitterにアップした写真。
ちょっと見づらいが、瓦礫と、家が崩れている様子が伝わると思う。この写真は馬場中山の避難所の目の前から撮影した。避難所の目の前の光景がこれだったのだ。想像してみるとよくわかると思うが、どこからどうやっても悲惨な光景が目に入る、そうした場所だった。そうした所で、一つの希望として、千羽鶴やとても大きな寄せ書きを飾っていたことは理解できるのではないかと思う。

確かに食べなければ死ぬわけで、千羽鶴より食べ物を!という意見はもっともなのだが、食べ物以上に救いになる可能性があるのもそうした物資の役割ではあると思う。これは本当に実際に見るまでは想像すらしていなかった。他にも、頼まれて寄せ書きを届けたこともあるが、こちらの(すみませんね…)という気持ちとは裏腹にとても喜ばれるので、そうしたこともイメージが変わる要素の一つとなった。

だからといってやたらと送りつけるのはやはり問題があるとは思う。
どうしても送りたい場合は時期をみて判断し、箱の中に9割役立つものを入れて、1割をそうした千羽鶴を入れる位であれば、実際に役立ち、気持ちも伝わり、さらにうまく入れれば緩衝材の代わりにもなりそうでよいと思う。また千羽鶴(実際には百羽鶴位になるのか)を送るのであれば、一つ一つしっかりと紐で固定し、飾りやすいようにてっぺんに輪っかなどをつけるなど、余計な手間がかからないように工夫をするとさらによい。

これだけ、送るな!勢力が強いと送る数は減るはずだが、それでも一部の人は送り続けるはず。送るな!勢力はそのまま頑張って送る人を減らしつつ、送る人は少しでいいから配慮をする、位がちょうどよいバランスなのかもしれない。

熊本の実際の様子を私は見ていないため、そちらでの扱いはわからないが、311の経験を踏まえていえば状況によってはとても勇気づけられるモノだということは理解してもらいたい。少なくとも、全否定するようなモノではないことは確かなので、批判をするにしてもその点をぜひ頭に入れておいて欲しい。

東日本大震災から5年が経過した。

石巻に住んで、石巻で活動していることを伝えると、よく「復興はどうですか?進んでますか?」という事を聞かれる。ここ最近は5年を迎えたこともあり、この5年でどういった変化があったのか、なんてことも聞かれる。

復興とは何かってことを考えると、それは「震災により発生した社会課題を解決すること」になると思うんだけど、その課題は多岐にわたるし、問題によっては当面解決できないものもある。津波により、家を無くし、家族を亡くし、仕事もせず、老いるばかり、なんて方は残りの人生で「復興した」なんて来る日はあるのだろうか、とも思う。

なので、「復興が終わる=震災を経験した世代が終わる」ということなのかもしれないなあ、なんてことは思う。

こんな事を書いていると、じゃあ復興は一生モンですね…みたいな事になりかねないんだけど、その心情的な、復興ピラミッドの最上部クラスタみたいな部分は別にして、その数段下に関しては着々と進みはしている。生き死にの問題はとうに改善され、この1年で仙石線も全面復旧し、インフラ面もだいぶ回復された。

復興公営住宅もあちこちににょきにょきと生えてきて、海沿いでは高盛土道路の準備がわさわさとはじまっている。地場の産業も続々と再建を果たし、苦戦しながらも力を取り戻しつつある。こうした目に見えるわかりやすい変化は、残り数年で終わる予定で、この辺の工事が終われば、復興計画ピラミッドの大部分は完了することになると思う。現在はあちこちで大型トラックが右往左往しているが、残り数年でそうした景色も無くなるのだと思う。

石巻でいえば震災から10年が経つ、2021年に復興国立公園が南浜に作られるため、それが一つの大きな区切りになると思う。今はその大きな、見えやすい変化が発生している段階のため、復興はどうかという問いについては、はっきりと「途上の段階です」と言える時期なのだと思う。仮設住宅もまだまだあるし、公営住宅の完成もまだまだかかる。

ここ最近の話で言えば、沿岸部の人間が内陸の方に大量に移動したことで集落に問題が発生しているという事を聞く。80世帯あった集落に、新興住宅地ができ、200世帯に増えた場所もある。そうなると元からある自治機能が機能しなくなり、元からあったまとまりも薄れてしまうようだ。畜産をやっているエリアでは、その臭いに対し、新たに来た人から苦情が入り、閉鎖に追い込まれた場所もいくつかあると聞いた。おそらく、それが直接の原因ではないのではないか…とは思うが、話を聞く限りではうまくやれていない事だけははっきりとしており、間接的にではあるが、こうした問題も震災が遠因となっているのだと思う。こういう話がでてくるうちは、復興した、とは中々言えないだろう。

自分に関しては、到底「当事者目線」なんていう素晴らしい目線で見ることなんか中々できるような人間ではないので、今までどおり、自分がやりたいこと、やれることをベースにしつつ、それが街にとって求められていることだったらラッキーだなー位のスタンスでゆるくやっていきたいなと思っている。いろいろやりながら、そのやりたい事のベースも変わってきた事は実感しているし、そのやりたいことがここにある以上は復興とかはそこまで関係はなくここでやり続けてもいいのかな、位には思う。この辺に関しては某メディアに寄稿した文章があるのだけど、どうやらボツ?になったの?かな?という感じなので、もしかしたらここに転載するかもしれない。

とまあ、何を書こうか迷いながら書いた結果、結局つらつらとまとまりのない話になってしまった。まだまだまとめきれていない情報も多々あるので、こうした節目だけではなく、日々感じたことももう少しアウトプットしていかねば。

石巻市の黙祷用サイレンが鳴らなかった件に関して

今年の黙祷は特に場所を考えていなかったが、たまたま街中に用事があった事もあり、日和山に登りそこで黙祷をすることにした。日和山石巻市街地で最大の被災地域である、南浜エリアを一望できる高台になっており、黙祷する場所として毎年多くの市民が集まる場所だ。

以前よりは少し減った気はするが、今年も多くの市民、そしてその様子を撮影する報道陣が沢山いて、鹿島御児神社の鳥居を中心に賑わいを見せていた。私も何人か知り合いがいたので、挨拶をしつつ、その時を待った。

14時40分頃から、黙祷をする場所を確保し、様々な思いとともに黙祷に入る準備をした。数分前に防災無線から「まもなくサイレンがなります」というアナウンスが入り、その時を待つ。通常であれば、定刻時間になると「黙祷」の声とともに、けたたましいサイレンが鳴り響き、それぞれがそれぞれの想いとともに黙祷をする時間になる…はずだった。

しかし、事前のアナウンスから一定の時間が過ぎても、サイレンはならない。近くのご婦人方も世間話をしている。なにかがおかしい…と思いながらも、「雰囲気的に黙祷をする時間」が場の空気を占めていき、徐々に静寂が場を支配していった。ご婦人方もその空気にやられて静かになり、小さな子供が無邪気に騒ぐ声と、それを窘める大人の声のみがひっそりと聞こえるのみとなった。

そうした「雰囲気」ではじまった黙祷だが、今度はまた別の問題がでてくる。「黙祷の終わりがいつなのかわからない」のだ。心の何処かで(もしかしたらこれからサイレンがなるかも…)と思ってはいるが、一向になる気配はない。サイレンがなればそれにあわせて、区切ることができるが、「雰囲気黙祷」の場合、終わりも雰囲気になるのだ。

私も当初は疑念を抱きながらも、黙祷を続けたがどうもサイレンはならないようだと判断し、ついに目を開けて時計を見たら「14時50分」を指していた。私は異常性をはっきりと認識し、と同時に周囲も少しずつ、異変を認識して「なんとなく」黙祷をやめる人が現れ、なし崩し的に黙祷の時間は終了した。

知人とも話し「なにがおこったんだ?」と確認していると、改めて防災無線からアナウンスが流れた。内容は…

「黙祷のサイレンを鳴らすことができませんでした。申し訳ございませんでした。」
https://www.youtube.com/watch?v=Z416MtgMJ3k

といったものだった。
その場は脱力感と戸惑いの空気に変わり、憤る声も聞こえた。
「中途半端な時間を過ごしてしまった」「一番大事な瞬間なのに」「中継もされているのに恥ずかしい」「逆に石巻市っぽいね…」などなど。なんとも言えず、そのまま立ちすくむ方も見られた。

後日、この件は新聞にも取り上げられ、鳴らすことができなかった理由も書かれていた。

"市によると、同44分にサイレンを鳴らす周知放送をし、同46分に実際にサイレンを鳴らすはずだった。しかし、周知放送のシステム終了が同46分を過ぎてしまったという。
 市は装置を2013年度に導入。昨年のサイレンは手動で実施した。ただ、手動では数秒遅れるため、ことしから自動放送に切り替えた。二つの自動放送を組み合わせたのは初めてで、テストは実施しなかった。"
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160312_11069.html

初めてのケースをテスト無しで運用してしまったためミスが出たと、そういうことらしい。

東日本大震災の中でも最大級の被害を受けた自治体が、「防災無線を鳴らすときに鳴らせなかった」ことはとても重要な失態だ。おそらく、本物の「津波警報」が発令された時は手動でサイレンを鳴らすため、鳴らないということはないと思うが、それ以前に事前に備えるべき自治体が「備わっていなかった」ことを露呈してしまったことがとても残念。本物が来た時でもこうした対応がどこかで現れるのではないかという懸念が生まれ、更に市民と行政の信頼関係を多かれ少なかれ損なうことになった事に対しても憂慮すべき点だと言える。

一方で、石巻界隈の知人からは「あのサイレンが鳴らなくて思い出さず良かった」「これからもこのままでもよい」といった声もあった。確かにあのけたたましいサイレンの音は強烈で、当日現地にいなかった自分ですらも、胸に来るものがある。その心情はとてもよく理解はできるが、サイレンがあろうがなかろうが、それでも人々の記憶は時間と比例して忘却していく事を考慮すると、未来に対して同じ被害を生まないためにも年に一度、盛大に鳴らす方がよいのではないかと思う。

心情の問題とは別で、備えの問題は急務だ。サイレンをそうそう鳴らせる機会はないのだから、こうした機会をテストケースとして利用するぐらいの気持ちで市役所の担当課は実践していくことがよいと思う。大変な失態ではあると思うが、そういう仕様だったという事を理解することができたことは良かったはず。今回の件を教訓にし、来年はまたけたたましくサイレンを鳴り響かせて欲しい。

時間の断捨離をする

どうも使える時間が減ってきているな…
と気付き、ここのところ時間の断捨離をしている。

何かを始めれば、必然的にその始めた時間分、いままでの何かの時間が減少していくわけだが、今まではなんとなく捌けていた。というより、特に意識もしていなかっただけなのかもしれない。

効率化も限界があるし、年齢を重ねれば無理も効かなくなる。超人でもないかぎり、誰もがどこかで何かを捨てる必要がでてくるのだと思う。

最近捨てた時間は「漫画を読む時間」だ。
人によってはまだお前それ捨ててなかったのかよ…と思うかもしれないが、好きなんだよ、すっごい好きなんだよ漫画が。気になってしょうがないから毎週週刊誌を買って読んでいた。しかし、この時間は相対的な優先順位でいえば低く、特に週刊誌を読む時間はあまりにももったいない(と捨てた今だから思う)ので、削ることにしたのだ。

ただし、全てを捨てたわけではなく「完結作品は読んで良い」という条件はつけた。これなら、どうしても漫画を読みたくなった時は漫画喫茶に行ってだーっと読んでしまえばよいので習慣化は避けられるし、続きが気になることもない。

というわけで思いたって習慣を変えてから、1ヶ月位は経過しただろうか。
思った以上にその時間の存在は薄かったようで、今にして思えばなぜそれまでは続けていたのだろうか…と疑問に思う(読めば面白いんだろうけどさ)。

ほんの少しの時間だけど、その分、他の時間に使えるし、なんなら何も考えないフリーの時間を作ることもできる。あまりにパンパンな時間の使い方よりも、多少遊びをもたせた時間の取り方の方が性に合っているんだろうなあとも感じる。

睡眠と1日2回の入浴あたりは譲れないけど、他なら仕事の時間も含めてまだまだ改善の余地はありそうだ。もっとも捨てたいのはどうでもいいネットサーフィンなのだが、これに関しては中々の曲者で未だ実現はしていない。とはいえ、できるところから、削っていき、何とか付き合わない方法を見つけ出したい。

リバウンド王から見たダイエットの話

話題になっているダイエット記事を読んだ。

http://blog.komesikanai.com/entry/2016/02/12/%E5%8A%B9%E7%8E%87%E7%9A%84%E3%81%AA%E7%AD%8B%E3%83%88%E3%83%AC%E3%81%A8%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%92%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%A6%E3%82%84%E3%82%8B

わかりやすく、リズムもよく、中身に関しても一部思考の違いからくる違和感もあったが(ホエイよりソイを進めている点とか)、概ね同意できる内容だと思う。まあ、ブコメにもあるように「これができたら苦労しないよ!」ってのはわかるけど、まっすぐな方法の1つではあるよなーとは思う。

自分は過去に大幅な減量に成功し、その後大幅な増量をし、現在再度大幅な減量を試みている。体重の推移で書けば、

105キロ→68キロ→95キロ→82キロ(現在)

といった感じだ。
劇的に痩せたにも関わらず劇的にリバウンドを引き起こしたのが私だ…私なのだ…

現在、再度68キロまで戻すべくせっせと減量を続けている。そこまで達成して、維持ができ、説得力をもたせられるようになってから再度本格的な記事を書こうと思うが、そんなリバウンド王の自分がダイエットに関して思うことを少しだけ書いておく。

ダイエットで減量することはとても良いことだと思うのだが、それ以上にその後どうやって体重を維持するかはさらに重要な点だと思う。どうしても、目先の減量だけを意識してしまうのだが、体重が目標まで達し、それまで続けていたダイエットをやめてしまえば、またぷくぷくと増量に転じ、気づけばちょっとしたリバウンド状態になってしまう。そして、また短期間のダイエットをして、リバウンドを繰り返して…の一生ダイエッターが生まれると…(書いてて悲しくなるな…)。

この状態から抜け出すためには減量だけではなく「生活改善」といった要素を取り込むことが重要だ。一時的なものではなく、一生その状態を保つ変化を生活習慣の中で起こしていくことがポイントなのだと思う。

自分のライフスタイルを見て、カロリー摂取と消費の状態を確認し、どこをどのくらい変更できるかを考え、実際に取り入れると。

なにも難しい話ではなく、どう考えても食べ過ぎだなーって人は、一食を低カロリー食品(野菜だけとか)に固定するとか、おやつは絶対食べないとか、飲み会の翌日は断食するとか(極端か)、そういう具合に変化を取り込み、それを一生続けて、「自分はそういう習慣だから」ってとこまで持って行くと。

消費してないなーって人は、移動方法を徒歩や自転車に変更したり、エスカレーターは使わないようにしたり、なんなら紐をきっちり結ばないと履けない靴だけを揃えるってのもいいかもしれない。もちろん、ジムが楽しい!運動が楽しい!って人はそうしたところに通ったり、登山でもやったらいいと思うんだけど、実際にはそういう人ばかりではない。まあ、このくらいなら変更できるかなーってところを試みて、それを習慣づけることが重要だ。

そうした生活習慣の変更は、減量中に一緒に取り組むことはとても良い方法だと思う。最初は減量のために!というモチベーションで始めながら、自然とそれが習慣となり、当たり前のように馴染んでくれば、減量が終わったあとも体重の維持はしやすくなるはず。むしろ、そうした変化を取り入れないと、振り出しに戻り繰り返しになると…

というわけで、ダイエットをする場合は減量の意識も大事だが、生活習慣の変更(改善)も同じように重要だということを書いた。そんなことを書きながら、なぜお前はリバウンド王になったんだよ…という話についてはまた今度書きなぐりたい。

石巻のタクシーに乗る幽霊について

石巻の「幽霊」を取り上げた論文の記事を見かけた。

http://www.asahi.com/articles/ASHDY737QHDYUNHB00B.html
http://www.buzzfeed.com/satoruishido/higashinihon-earthquake-yurei

このタクシーの幽霊が流行った2011年の夏頃は石巻で在宅被災者向けのコミュニティカフェの運営をしており、この話題は当時の事を思い出す内容になっている。

コミュニティカフェではお茶っこ(お茶飲みの事をこの地域ではこう表現する)をしに、近所の子供からお年寄りまで集まり日々あーだこーだと話していた。震災情報の話もよくしてはいたが、井戸端会議のようなもんだからゴシップ的な話題もまあみんな好きで、お金と幽霊の話題はよく聞いていた。

当然、このタクシーの話も事あるごとに話題となり、他にも「南浜では夜になると何人もの死者が歩いている」と言われてみたり、なんなら「余りにも幽霊が出るものだから南浜の道は通行止めになっており、警備員が御札をはって警備をしている」なんて事も言われていた。

ふんふん、なるほどなあと聞きつつも正直な所、戸惑いも感じていた。その該当するエリアは度々通る道で、もちろんそうした幽霊を見たことはない。また、通行止めになっていたのは地盤沈下がひどく、水が溜まり通行止めになっていただけで、幽霊が原因なわけではなかった(当たり前なんだけどさ)。そんな感じで、特に南浜に関しては尾ひれがびよーんと長くついた話は度々聞いていたのだった。

ここで補足をしておくと、話題の中心となる地域はほぼ決まって南浜(もしくは隣の門脇地区)で、この地域は石巻市街地で最大の被害があった場所だ。石巻の震災の象徴ともいうべき場所で、多くの市民にとって、何かしらの感情を抱く場所になったという意味では市民にとっても特別な場所だと思う。度々クローズアップされる「がんばろう!石巻看板」もここにあり、「被災石巻」などとアナウンスされながら流れる映像は高台である日和山からこの南浜地区を撮影した映像だ。ちなみに長渕剛が紅白にでた際に使われた門脇小学校もここにある(当日は遠くからもその様子が確認ができ、神龍降臨の如く凄まじいライトアップがされていた)。

あの夏頃は避難所もまだまだ運営されており、さらに本格的な仕事がまだ始まっていないところも多く、「人が寄り合う状況」があちこちで見られた。町内会レベルで今後どうすっかいねー的な話はあちこちでしていたと思う。

みんなが共通で認識する場所(南浜)があり、さらに人が集まりやすい状況があったため、あの時の石巻はより「幽霊が生まれやすい状態」だったのではないかと推察する。死者と向き合うときにこうした霊的な話は、被災地に限らず全国津々浦々発生する話だと思うが、その話題が外に拡散するには条件が整っていなければ広がらないはずで、その条件がその当時の石巻にはあったのだと思う。ようやく少し落ち着き、疲労を感じる時期の中で、清涼剤のようにゴシップ的なネタが欲しかったのかもしれないなとも思う。

先にリンクを貼った記事の中に担当教員が、

"被災地の人々が多様な死者へ払っている敬意から私たちはもっと学ばないといけない。死者の思いを受け止めない慰霊は、誰の感情に寄り添っているのか。もっと被災者の視点から問われないといけないのです"

↑このようなことを書いていたが、正直なところ、同じ被災者でも茶化した扱いをする人もいる。自分はそうして幽霊として出てくるのであれば、それをむしろ真摯に受け止めて欲しいと思っているので、「あそこ…出るんですよ…」とか言ってくる人には正直辟易している部分もある。被災者だからといって、みんながみんな同じような想いだったりするわけではない。感じ方は当然、人それぞれなのだ。

しかしながら、そうした話が頭に残り「あそこは多くの死者が出た場所」だと後世に認識される方法だとすれば1つ興味深い方法なのかもしれない。それこそ民話のような。現在も、ほとんどの市民がタクシーの幽霊を知っていることを考えれば、下手な啓蒙よりも効果はあるのかもしれないな。