轟音事変

轟音は"ごうおん"と発音してください。

東日本大震災から5年が経過した。

石巻に住んで、石巻で活動していることを伝えると、よく「復興はどうですか?進んでますか?」という事を聞かれる。ここ最近は5年を迎えたこともあり、この5年でどういった変化があったのか、なんてことも聞かれる。

復興とは何かってことを考えると、それは「震災により発生した社会課題を解決すること」になると思うんだけど、その課題は多岐にわたるし、問題によっては当面解決できないものもある。津波により、家を無くし、家族を亡くし、仕事もせず、老いるばかり、なんて方は残りの人生で「復興した」なんて来る日はあるのだろうか、とも思う。

なので、「復興が終わる=震災を経験した世代が終わる」ということなのかもしれないなあ、なんてことは思う。

こんな事を書いていると、じゃあ復興は一生モンですね…みたいな事になりかねないんだけど、その心情的な、復興ピラミッドの最上部クラスタみたいな部分は別にして、その数段下に関しては着々と進みはしている。生き死にの問題はとうに改善され、この1年で仙石線も全面復旧し、インフラ面もだいぶ回復された。

復興公営住宅もあちこちににょきにょきと生えてきて、海沿いでは高盛土道路の準備がわさわさとはじまっている。地場の産業も続々と再建を果たし、苦戦しながらも力を取り戻しつつある。こうした目に見えるわかりやすい変化は、残り数年で終わる予定で、この辺の工事が終われば、復興計画ピラミッドの大部分は完了することになると思う。現在はあちこちで大型トラックが右往左往しているが、残り数年でそうした景色も無くなるのだと思う。

石巻でいえば震災から10年が経つ、2021年に復興国立公園が南浜に作られるため、それが一つの大きな区切りになると思う。今はその大きな、見えやすい変化が発生している段階のため、復興はどうかという問いについては、はっきりと「途上の段階です」と言える時期なのだと思う。仮設住宅もまだまだあるし、公営住宅の完成もまだまだかかる。

ここ最近の話で言えば、沿岸部の人間が内陸の方に大量に移動したことで集落に問題が発生しているという事を聞く。80世帯あった集落に、新興住宅地ができ、200世帯に増えた場所もある。そうなると元からある自治機能が機能しなくなり、元からあったまとまりも薄れてしまうようだ。畜産をやっているエリアでは、その臭いに対し、新たに来た人から苦情が入り、閉鎖に追い込まれた場所もいくつかあると聞いた。おそらく、それが直接の原因ではないのではないか…とは思うが、話を聞く限りではうまくやれていない事だけははっきりとしており、間接的にではあるが、こうした問題も震災が遠因となっているのだと思う。こういう話がでてくるうちは、復興した、とは中々言えないだろう。

自分に関しては、到底「当事者目線」なんていう素晴らしい目線で見ることなんか中々できるような人間ではないので、今までどおり、自分がやりたいこと、やれることをベースにしつつ、それが街にとって求められていることだったらラッキーだなー位のスタンスでゆるくやっていきたいなと思っている。いろいろやりながら、そのやりたい事のベースも変わってきた事は実感しているし、そのやりたいことがここにある以上は復興とかはそこまで関係はなくここでやり続けてもいいのかな、位には思う。この辺に関しては某メディアに寄稿した文章があるのだけど、どうやらボツ?になったの?かな?という感じなので、もしかしたらここに転載するかもしれない。

とまあ、何を書こうか迷いながら書いた結果、結局つらつらとまとまりのない話になってしまった。まだまだまとめきれていない情報も多々あるので、こうした節目だけではなく、日々感じたことももう少しアウトプットしていかねば。

石巻市の黙祷用サイレンが鳴らなかった件に関して

今年の黙祷は特に場所を考えていなかったが、たまたま街中に用事があった事もあり、日和山に登りそこで黙祷をすることにした。日和山石巻市街地で最大の被災地域である、南浜エリアを一望できる高台になっており、黙祷する場所として毎年多くの市民が集まる場所だ。

以前よりは少し減った気はするが、今年も多くの市民、そしてその様子を撮影する報道陣が沢山いて、鹿島御児神社の鳥居を中心に賑わいを見せていた。私も何人か知り合いがいたので、挨拶をしつつ、その時を待った。

14時40分頃から、黙祷をする場所を確保し、様々な思いとともに黙祷に入る準備をした。数分前に防災無線から「まもなくサイレンがなります」というアナウンスが入り、その時を待つ。通常であれば、定刻時間になると「黙祷」の声とともに、けたたましいサイレンが鳴り響き、それぞれがそれぞれの想いとともに黙祷をする時間になる…はずだった。

しかし、事前のアナウンスから一定の時間が過ぎても、サイレンはならない。近くのご婦人方も世間話をしている。なにかがおかしい…と思いながらも、「雰囲気的に黙祷をする時間」が場の空気を占めていき、徐々に静寂が場を支配していった。ご婦人方もその空気にやられて静かになり、小さな子供が無邪気に騒ぐ声と、それを窘める大人の声のみがひっそりと聞こえるのみとなった。

そうした「雰囲気」ではじまった黙祷だが、今度はまた別の問題がでてくる。「黙祷の終わりがいつなのかわからない」のだ。心の何処かで(もしかしたらこれからサイレンがなるかも…)と思ってはいるが、一向になる気配はない。サイレンがなればそれにあわせて、区切ることができるが、「雰囲気黙祷」の場合、終わりも雰囲気になるのだ。

私も当初は疑念を抱きながらも、黙祷を続けたがどうもサイレンはならないようだと判断し、ついに目を開けて時計を見たら「14時50分」を指していた。私は異常性をはっきりと認識し、と同時に周囲も少しずつ、異変を認識して「なんとなく」黙祷をやめる人が現れ、なし崩し的に黙祷の時間は終了した。

知人とも話し「なにがおこったんだ?」と確認していると、改めて防災無線からアナウンスが流れた。内容は…

「黙祷のサイレンを鳴らすことができませんでした。申し訳ございませんでした。」
https://www.youtube.com/watch?v=Z416MtgMJ3k

といったものだった。
その場は脱力感と戸惑いの空気に変わり、憤る声も聞こえた。
「中途半端な時間を過ごしてしまった」「一番大事な瞬間なのに」「中継もされているのに恥ずかしい」「逆に石巻市っぽいね…」などなど。なんとも言えず、そのまま立ちすくむ方も見られた。

後日、この件は新聞にも取り上げられ、鳴らすことができなかった理由も書かれていた。

"市によると、同44分にサイレンを鳴らす周知放送をし、同46分に実際にサイレンを鳴らすはずだった。しかし、周知放送のシステム終了が同46分を過ぎてしまったという。
 市は装置を2013年度に導入。昨年のサイレンは手動で実施した。ただ、手動では数秒遅れるため、ことしから自動放送に切り替えた。二つの自動放送を組み合わせたのは初めてで、テストは実施しなかった。"
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160312_11069.html

初めてのケースをテスト無しで運用してしまったためミスが出たと、そういうことらしい。

東日本大震災の中でも最大級の被害を受けた自治体が、「防災無線を鳴らすときに鳴らせなかった」ことはとても重要な失態だ。おそらく、本物の「津波警報」が発令された時は手動でサイレンを鳴らすため、鳴らないということはないと思うが、それ以前に事前に備えるべき自治体が「備わっていなかった」ことを露呈してしまったことがとても残念。本物が来た時でもこうした対応がどこかで現れるのではないかという懸念が生まれ、更に市民と行政の信頼関係を多かれ少なかれ損なうことになった事に対しても憂慮すべき点だと言える。

一方で、石巻界隈の知人からは「あのサイレンが鳴らなくて思い出さず良かった」「これからもこのままでもよい」といった声もあった。確かにあのけたたましいサイレンの音は強烈で、当日現地にいなかった自分ですらも、胸に来るものがある。その心情はとてもよく理解はできるが、サイレンがあろうがなかろうが、それでも人々の記憶は時間と比例して忘却していく事を考慮すると、未来に対して同じ被害を生まないためにも年に一度、盛大に鳴らす方がよいのではないかと思う。

心情の問題とは別で、備えの問題は急務だ。サイレンをそうそう鳴らせる機会はないのだから、こうした機会をテストケースとして利用するぐらいの気持ちで市役所の担当課は実践していくことがよいと思う。大変な失態ではあると思うが、そういう仕様だったという事を理解することができたことは良かったはず。今回の件を教訓にし、来年はまたけたたましくサイレンを鳴り響かせて欲しい。

時間の断捨離をする

どうも使える時間が減ってきているな…
と気付き、ここのところ時間の断捨離をしている。

何かを始めれば、必然的にその始めた時間分、いままでの何かの時間が減少していくわけだが、今まではなんとなく捌けていた。というより、特に意識もしていなかっただけなのかもしれない。

効率化も限界があるし、年齢を重ねれば無理も効かなくなる。超人でもないかぎり、誰もがどこかで何かを捨てる必要がでてくるのだと思う。

最近捨てた時間は「漫画を読む時間」だ。
人によってはまだお前それ捨ててなかったのかよ…と思うかもしれないが、好きなんだよ、すっごい好きなんだよ漫画が。気になってしょうがないから毎週週刊誌を買って読んでいた。しかし、この時間は相対的な優先順位でいえば低く、特に週刊誌を読む時間はあまりにももったいない(と捨てた今だから思う)ので、削ることにしたのだ。

ただし、全てを捨てたわけではなく「完結作品は読んで良い」という条件はつけた。これなら、どうしても漫画を読みたくなった時は漫画喫茶に行ってだーっと読んでしまえばよいので習慣化は避けられるし、続きが気になることもない。

というわけで思いたって習慣を変えてから、1ヶ月位は経過しただろうか。
思った以上にその時間の存在は薄かったようで、今にして思えばなぜそれまでは続けていたのだろうか…と疑問に思う(読めば面白いんだろうけどさ)。

ほんの少しの時間だけど、その分、他の時間に使えるし、なんなら何も考えないフリーの時間を作ることもできる。あまりにパンパンな時間の使い方よりも、多少遊びをもたせた時間の取り方の方が性に合っているんだろうなあとも感じる。

睡眠と1日2回の入浴あたりは譲れないけど、他なら仕事の時間も含めてまだまだ改善の余地はありそうだ。もっとも捨てたいのはどうでもいいネットサーフィンなのだが、これに関しては中々の曲者で未だ実現はしていない。とはいえ、できるところから、削っていき、何とか付き合わない方法を見つけ出したい。

リバウンド王から見たダイエットの話

話題になっているダイエット記事を読んだ。

http://blog.komesikanai.com/entry/2016/02/12/%E5%8A%B9%E7%8E%87%E7%9A%84%E3%81%AA%E7%AD%8B%E3%83%88%E3%83%AC%E3%81%A8%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%92%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%A6%E3%82%84%E3%82%8B

わかりやすく、リズムもよく、中身に関しても一部思考の違いからくる違和感もあったが(ホエイよりソイを進めている点とか)、概ね同意できる内容だと思う。まあ、ブコメにもあるように「これができたら苦労しないよ!」ってのはわかるけど、まっすぐな方法の1つではあるよなーとは思う。

自分は過去に大幅な減量に成功し、その後大幅な増量をし、現在再度大幅な減量を試みている。体重の推移で書けば、

105キロ→68キロ→95キロ→82キロ(現在)

といった感じだ。
劇的に痩せたにも関わらず劇的にリバウンドを引き起こしたのが私だ…私なのだ…

現在、再度68キロまで戻すべくせっせと減量を続けている。そこまで達成して、維持ができ、説得力をもたせられるようになってから再度本格的な記事を書こうと思うが、そんなリバウンド王の自分がダイエットに関して思うことを少しだけ書いておく。

ダイエットで減量することはとても良いことだと思うのだが、それ以上にその後どうやって体重を維持するかはさらに重要な点だと思う。どうしても、目先の減量だけを意識してしまうのだが、体重が目標まで達し、それまで続けていたダイエットをやめてしまえば、またぷくぷくと増量に転じ、気づけばちょっとしたリバウンド状態になってしまう。そして、また短期間のダイエットをして、リバウンドを繰り返して…の一生ダイエッターが生まれると…(書いてて悲しくなるな…)。

この状態から抜け出すためには減量だけではなく「生活改善」といった要素を取り込むことが重要だ。一時的なものではなく、一生その状態を保つ変化を生活習慣の中で起こしていくことがポイントなのだと思う。

自分のライフスタイルを見て、カロリー摂取と消費の状態を確認し、どこをどのくらい変更できるかを考え、実際に取り入れると。

なにも難しい話ではなく、どう考えても食べ過ぎだなーって人は、一食を低カロリー食品(野菜だけとか)に固定するとか、おやつは絶対食べないとか、飲み会の翌日は断食するとか(極端か)、そういう具合に変化を取り込み、それを一生続けて、「自分はそういう習慣だから」ってとこまで持って行くと。

消費してないなーって人は、移動方法を徒歩や自転車に変更したり、エスカレーターは使わないようにしたり、なんなら紐をきっちり結ばないと履けない靴だけを揃えるってのもいいかもしれない。もちろん、ジムが楽しい!運動が楽しい!って人はそうしたところに通ったり、登山でもやったらいいと思うんだけど、実際にはそういう人ばかりではない。まあ、このくらいなら変更できるかなーってところを試みて、それを習慣づけることが重要だ。

そうした生活習慣の変更は、減量中に一緒に取り組むことはとても良い方法だと思う。最初は減量のために!というモチベーションで始めながら、自然とそれが習慣となり、当たり前のように馴染んでくれば、減量が終わったあとも体重の維持はしやすくなるはず。むしろ、そうした変化を取り入れないと、振り出しに戻り繰り返しになると…

というわけで、ダイエットをする場合は減量の意識も大事だが、生活習慣の変更(改善)も同じように重要だということを書いた。そんなことを書きながら、なぜお前はリバウンド王になったんだよ…という話についてはまた今度書きなぐりたい。

石巻のタクシーに乗る幽霊について

石巻の「幽霊」を取り上げた論文の記事を見かけた。

http://www.asahi.com/articles/ASHDY737QHDYUNHB00B.html
http://www.buzzfeed.com/satoruishido/higashinihon-earthquake-yurei

このタクシーの幽霊が流行った2011年の夏頃は石巻で在宅被災者向けのコミュニティカフェの運営をしており、この話題は当時の事を思い出す内容になっている。

コミュニティカフェではお茶っこ(お茶飲みの事をこの地域ではこう表現する)をしに、近所の子供からお年寄りまで集まり日々あーだこーだと話していた。震災情報の話もよくしてはいたが、井戸端会議のようなもんだからゴシップ的な話題もまあみんな好きで、お金と幽霊の話題はよく聞いていた。

当然、このタクシーの話も事あるごとに話題となり、他にも「南浜では夜になると何人もの死者が歩いている」と言われてみたり、なんなら「余りにも幽霊が出るものだから南浜の道は通行止めになっており、警備員が御札をはって警備をしている」なんて事も言われていた。

ふんふん、なるほどなあと聞きつつも正直な所、戸惑いも感じていた。その該当するエリアは度々通る道で、もちろんそうした幽霊を見たことはない。また、通行止めになっていたのは地盤沈下がひどく、水が溜まり通行止めになっていただけで、幽霊が原因なわけではなかった(当たり前なんだけどさ)。そんな感じで、特に南浜に関しては尾ひれがびよーんと長くついた話は度々聞いていたのだった。

ここで補足をしておくと、話題の中心となる地域はほぼ決まって南浜(もしくは隣の門脇地区)で、この地域は石巻市街地で最大の被害があった場所だ。石巻の震災の象徴ともいうべき場所で、多くの市民にとって、何かしらの感情を抱く場所になったという意味では市民にとっても特別な場所だと思う。度々クローズアップされる「がんばろう!石巻看板」もここにあり、「被災石巻」などとアナウンスされながら流れる映像は高台である日和山からこの南浜地区を撮影した映像だ。ちなみに長渕剛が紅白にでた際に使われた門脇小学校もここにある(当日は遠くからもその様子が確認ができ、神龍降臨の如く凄まじいライトアップがされていた)。

あの夏頃は避難所もまだまだ運営されており、さらに本格的な仕事がまだ始まっていないところも多く、「人が寄り合う状況」があちこちで見られた。町内会レベルで今後どうすっかいねー的な話はあちこちでしていたと思う。

みんなが共通で認識する場所(南浜)があり、さらに人が集まりやすい状況があったため、あの時の石巻はより「幽霊が生まれやすい状態」だったのではないかと推察する。死者と向き合うときにこうした霊的な話は、被災地に限らず全国津々浦々発生する話だと思うが、その話題が外に拡散するには条件が整っていなければ広がらないはずで、その条件がその当時の石巻にはあったのだと思う。ようやく少し落ち着き、疲労を感じる時期の中で、清涼剤のようにゴシップ的なネタが欲しかったのかもしれないなとも思う。

先にリンクを貼った記事の中に担当教員が、

"被災地の人々が多様な死者へ払っている敬意から私たちはもっと学ばないといけない。死者の思いを受け止めない慰霊は、誰の感情に寄り添っているのか。もっと被災者の視点から問われないといけないのです"

↑このようなことを書いていたが、正直なところ、同じ被災者でも茶化した扱いをする人もいる。自分はそうして幽霊として出てくるのであれば、それをむしろ真摯に受け止めて欲しいと思っているので、「あそこ…出るんですよ…」とか言ってくる人には正直辟易している部分もある。被災者だからといって、みんながみんな同じような想いだったりするわけではない。感じ方は当然、人それぞれなのだ。

しかしながら、そうした話が頭に残り「あそこは多くの死者が出た場所」だと後世に認識される方法だとすれば1つ興味深い方法なのかもしれない。それこそ民話のような。現在も、ほとんどの市民がタクシーの幽霊を知っていることを考えれば、下手な啓蒙よりも効果はあるのかもしれないな。

最近の中学生は落ち着いた傾向にあるらしい

先日、中学生向けに職業講話を実施した。
NPO法人ハーベストが実施しているキャリア教育の一環で、今回に限らず母校や石巻周辺の学校を中心に年間5校程度に参加している。

NPO法人ハーベスト
http://www.heartbest.net/

中高生の間だと、将来の事を考えるにも身近に相談できる大人は親や先生だけで他に具体的に話を聞ける機会もないよねってことで、その地域の経営者なんかを中心に市民講師として呼んで、興味のある講師の講座を受けられるという仕組み。市民講師は完全にボランティア参加で交通費も出ない。みんな地域の学生に対し何かしらの助けになれば…という気持ちで参加している。

自分もハーベストの考え方に共感できるし、更に教育分野にはできるだけ投資をするべきだろう…と考えている人間なので、平日の営業時間をスタッフに話をして抜けさせてもらい参加をしている。

非常によくできた仕組みで事前にアンケートをもらう所から、終わった後によくまとまった参加者の声が届くところまでサポートが行き届いている。受講した生徒の声は自分に対する答案用紙みたいなもので、受講中の生徒が実際にどういったことを感じていたのかがわかり非常におもしろく、また参考になる事も多い。素直な意見が多いため、プレゼンの練習にはぴったりなんじゃないかと思う。

先ほど、その中学生向けに実施した際のアンケートが届いた。
概ね好印象だったことは安心したが、それよりもその書いている内容の質の高さに驚いている。きちんと話を聞き、何が大事だったのかそれぞれ自分なりに解釈して一生懸命書き込んでいる。

中学1年生が対象だったが、本当に礼儀正しく、素直で、質問も積極的で、「あれ、中学1年生ってこんな雰囲気だったか…もうちょっとこうひねくれてたりしなかったっけ…」と講話中から想像と目の前の学生にギャップがあった。ふざけている生徒がいると逆にその子が白けた目で見られるような雰囲気もあった。上流階級が集まる都会の学校とかならそうなのかなーって気もするが、田舎の中学校で自分が現役の時には「だいたい学級崩壊状態」だった学校で、だ。

講話終了後に、学校の先生方と参加した講師が集まり情報共有を行うのだが、発言したほぼ全ての講師が同じ印象を持っていた。どうやら、1年生だけでなく2年生や3年生もこうした落ち着いた傾向があるとのこと。

学校の先生曰く「この傾向は東日本を中心に現れており、時期を考えても、東日本大震災が何らかの形で影響をしているようだ」とのことだった。何かしたい、何かできないか、といった気持ちが根底にあると。震災だけを切り取るのは少し短絡的な気もするが、この学校が特別というわけではないことは確かだとのこと。そして先生は「本当に今の子は素晴らしく、逆に我々大人がしっかりと導いていかねばならない」と繰り返し仰っていた。

地域性なのか、震災がそうなのか、何が原因かはわからないが確かに自分の目でみて、そして今事後アンケートを確認しても素晴らしい生徒だと実感している。少しでも彼ら彼女の時代がよくなるように、絶望しないように、自分も頑張っていかねばなーとほんと、強く思った。

それにしても最近流行りの芸能人はヒカキンで、スマホゲームに熱中し、そもそもテレビの話題が出ないよ!なんて子らだったけど、講話の最中に紹介した「インディージョーンズ」はほぼみんなが知ってた。インディー恐るべしだな。

揚げたてのコロッケはだいたい美味い

飲食素人の友人が飲食店を開いた。
厳密にかけば、本格的なお店を開くための資金稼ぎのためにキッチンカーと知り合いの店舗の曜日限定間借りという方法を取っている。

共通の知り合いも多くいるため、facebookを通し「○○君のお店に行きましたー」といった応援コメントが続々と流れてくる。反応は上々で「おいしい!」といった声も多く、いい感じに見える。

が、これがこうしたお店を開いた時の最初の罠だと個人的には思っている。余程の店ではないかぎり「この店まずい!もう行かない!」なんて事は早々なく、よくよく考えれば飲食店で出される食べ物は大抵の場合「"普通に"おいしい食べ物」だったりする。まあこの普通にって単語がややこしいんですけど、ここではあえて使います。

一定のレベル以上の食べ物が出される事は前提条件であり、だとするとそこに友人が訪れたらそりゃ誰だって「おいしい!いいね!」となるに決まっており(特にSNS上での発信なら)、となるとやってる人からすればなんとなくの手応えを感じてしまう。しかし、それはただのご祝儀であり、飲食店を開く上で最低限のレベルの話だ。そこからどう創意工夫をして方向性を打ち出し、差別化していくかが鍵となる。

これは何も飲食店に限らず、他のサービスでもなんでもそうだ。新しく事業を初めて、「こういうのをやるんです、やっているんです」といえば大体の場合「それいいね!」となる。自分がやっている事業でもそうだ。

そして、当然のごとく少し時間が経てばそのご祝儀相場も終わる。そうしたタイミングに、彼に話を聞いたらやはりそうした状況でこれから勝負になってくる。結果にこだわっていかないと、一瞬で資金繰りで死にそうになり、そして死ぬ。

彼の場合は、今後のプランはあるようだが少々無茶な方法を取るようなので、体だけは壊さないようにとそれだけは強く伝えた。

と、ここまで書いておきながら当の自分はまだお店で食べていない…今度食べに行き、正直な感想を話そうと思う。